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『コレクションズ』(ジョナサン・フランゼン 黒原敏行訳 ハヤカワepi文庫)

2013.04.07(Sun)

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コレクションズ (上) (ハヤカワepi文庫)コレクションズ (上) (ハヤカワepi文庫)
(2011/08/10)
ジョナサン フランゼン、Jonathan Franzen 他

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コレクションズ (下) (ハヤカワepi文庫)コレクションズ (下) (ハヤカワepi文庫)
(2011/08/10)
ジョナサン フランゼン、Jonathan Franzen 他

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■ジョナサン・フランゼンというアメリカ人作家のことを最近知った。『フリーダム』(早川書房』)という最新作が話題になっているが、アメリカでは既に大御所の一人みたいで、今回読んだ『コレクションズ』は、2001年に刊行され全米図書賞を受賞、280万部以上を売り上げたという。
 さらに、新作『フリーダム』がアメリカで刊行された2010年、『TIME』誌の表紙を飾っている。過去に、サリンジャー、ナボコフ、トニ・モリソン、ジョージ・オーウェル、ジョン・アップダイクと言った錚々たる作家たちが表紙を飾った。現役作家としては、スティーブン・キング以来、十年ぶりというのだから驚きである。多分、ポール・オースターもジョン・アーヴィングもドン・デリーロも、未だその栄誉に浴していないであろう、というのに。帯に「アメリカの国民作家」などというコピーが踊っているが、それも納得というほかない。
 しかし、その割に日本で知られてないのはなぜ?という疑問が当然ながら湧いてくるのだが、多分、それは恐ろしいくらいの寡作ぶりにあるのではないだろうか。ほぼ十年に一作というペース、日本で翻訳されているのは、『コレクションズ』と新作の『フリーダム』の二作のみということなので、意外に知られていない大物作家というスタンスも致し方なしというところか。

■今回読んだ『コレクションズ』は、十年に一作という時間の重みがずっしりと感じられる作品だ。文庫で上下二冊900ページを超す大作ということもあるが、エピソードの練り上げ、細部の精緻な描写、シニカルな独白など、どこを切り取っても面白い。
 内容は、アメリカ中西部のセント・ジュードという架空の町に住むランバート夫妻とその子供たち三人の物語である。家族の物語と言っても心温まるのどかな物語などでは、もちろんない。シリアスかつコミカル、さらにシニカルでもある。
 家族が暮らしたアメリカ中西部という地域は、アメリカでももっとも保守的な地域として知られている。その保守的な地域にぴったり溶け込んだかのような、頑固な父親・アルフレッドと世間体を気にする母親・イーニッド。三人の子供たちは、心のどこかに両親や故郷に対し鬱屈した思いを抱えながら成長した。長男のブライアンは、フィラデルフィアの銀行の部長を勤めているが、拝金主義で妻や子供たちとの不和に悩まされている。次男のチップは、大学で先鋭的な文学理論を教えていたのだが、教え子の女子学生とトラブルを起こし、大学を追われる。末娘のデニースは、新進気鋭の料理人として注目を集めるが、これも雇い主とのトラブルで有名レストランの職を失う。
 子供たちそれぞれの波乱のストーリーが、大きな読みどころだが、同時に、父親のアルフレッドも徐々に痴呆が進行し、母イーニッドの負担が増えていく。両親の危機的状況と、子供たちの親に対する屈折した思い。複雑に絡まり、錯綜する様々な思惑のあいだで、どう折り合いをつけるのか、どのような<コレクションズ=修正>局面が生み出されるのか、というのがおおまかなストーリー。

■フランゼンは、ぎしぎしと音を立てて軋み合う価値観の衝突や、それぞれが内に秘めた、わがままで身勝手、病的な思い込みを、なんの脚色もせずあるがまま表出させる。取り繕った態度の奥底にあるエゴイスティックな澱を、鷲掴みにして読者の前に放り投げる。
例えば、長男ゲイリーのこんな独白。

◇「ゲイリーは、もう沿岸部への移住は法律で禁止して、中西部人には田舎くさい食べ物を食べ、野暮ったい服を着、盤上ゲームで遊ぶ古い生活に戻るよう奨励してもらいたいと思う。そうすれば、この国でも数多くの田舎者が温存され、洗練された趣味を知らない荒蕪地が残って、彼のような特権階級の人間が、自分はすぐれて文明的だという感覚をいつまでも持ちつづけることがー」

◇「ホームセンターの精算所で、ゲイリーはアメリカ中部でもとりわけ肥満したのろまな連中に見える客たちの列についた。マシュマロのサンタや、安ピカ物の飾りや、ベネチアン・ブラインドや、八ドルのドライヤーや、クリスマスにちなんだ図柄の鍋つかみなどを買いにきた連中。代金をぴったり払おうとソーセージみたいな指で財布を掻きまわす連中」

■新自由主義的価値観にどっぷり浸かった長男のゲイリー、リベラルな価値観でオルタナティブなライフスタイルを模索するが、どこか間が抜けていて失敗を繰り返すチップ、その中間に位置するようなデニース。
危機をくぐって家族が着地した地点は、それぞれがほんの少しずつ生き方を「コレクションズ=修正」した、ごく穏当なものだった。
 そこに至る家族の航海を通じ、著者は、90年代末期、「後期資本主義」のただ中にある、アメリカ社会の現実を見事にあぶり出している。








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文学ときどき酒 丸谷才一対談集 (中公文庫)

2013.03.27(Wed)

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文学ときどき酒 - 丸谷才一対談集 (中公文庫)文学ときどき酒 - 丸谷才一対談集 (中公文庫)
(2011/06/23)
丸谷 才一

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■主に1970年代に文芸雑誌などに掲載された対談集。対談の相手は、吉田健一、河盛好蔵、石川淳、谷崎松子、里見とん、河上徹太郎、円地文子等々。
前半の懐かしい文士たちとの対談がなんとも味わい深かった。時代をタイムスリップしたような、ダラダラと続くのどかな対話がたまらない。
なかでも、吉田健一をめぐる対談が面白かった。冒頭に吉田本人との対談があるのだが、こちらは期待したほどでなく、むしろ吉田の師匠筋にあたる河上徹太郎との対談が面白い。

■吉田健一というと、吉田茂の子息にして母方の祖父が牧野伸顕という名門の出自で、ブルジョアのおぼっちゃんというイメージが強い。父の吉田茂は、高知県宿毛出身の自由民権運動の闘士・竹内綱の五男に生まれた。その後、竹内の親友で、横浜で貿易商を営む吉田健三の養子となる。養父・健三が四十歳で亡くなったとき、十一歳の茂は莫大な財産を相続する。本来なら、健一は大金持ちの御曹司で安穏と暮らせていたはずだった。ところが、河上徹太郎との対談では、こんなふうに語られている。

◇「この養家の吉田家というのは、よく知らないけど横浜の地主で大金持ちだったのが、それをまた茂がみんな使っちゃったんですね」

◇「茂は健一に残すものは何もなかったんだ。で、健一は仕方がないから復員服姿で歩いていた(笑)。つまり、親は子を養おうとしないし、子は親の脛をかじるという気もないっていう、面白い親子なんですね。イギリス風に親子が対等に紳士づき合いをしている」

■こういうのを読むと、吉田健一のそれまでのイメージががらりと変わる。吉田健一という人は、茂の息子ということで、多少の利得はあったにせよ、基本的に筆ひとつで生計を立てた人なのだ。吉田健一という人がぐっと身近に感じられる。また、茂との親子関係も、実にさばさばしていて気持ちいい。
さらに、吉田健一というと思い出すのが、トレードマークともいうべきあの独特の文体である。あの文体について、河上徹太郎はこんな風に述べている。

◇「ぼくはね、健一が死ぬまで、『おい、句読点抜きはよせよ』って言ってたけれども、あなたのご意見はいかがです。健一自身は『源氏物語』みたいに通じる気でいたみたいだけれど、確かに通じますよ。彼はあの文体の暢達には自信があって、それは十分認めます。しかし、読者は時間をとりますね。句読点がない文章というのは。そんな手間をかけては失礼だというのです」

さらに続けて。

◇「健一の奥さんが、『河上さん健一はどうして死んだんですか」って言うから、『そりゃあ句読点を打たないからさ』って言ったんですけどね」

■なんとも、身も蓋もない言いようである。それに対して、丸谷さんは、面白い分析を披瀝する。吉田健一の文筆キャリアを二つに分け、代表作の『ヨオロッパの世紀末』と『瓦礫の中』から後期がはじまるという。そして、その後期以降、句読点が極端に少なくなっていった、と指摘する。さらに、後期が始まる直前に、健一が「もう書くことはない」と言ったことにも注目。不思議なことに、その後期以降、健一は、それこそ「なだれを打ったように」書き始めるのである。そのことに対して、丸谷さんは、次のように語る。

◇「うまく言えないんですが、あの時に、自己表現としての文学という窮屈なものをすっかりすてることが出来たんじゃないかなと思うんですね。それで、芸といってしまうと話が粗雑になるんですが、芸が文学の本質だという感じが非常に出てきて、それであんなふうにコトバが流暢に流れるようになったんじゃないか」

■師匠格である河上さんの忠告にもかかわらず、あの独特のうねるような文体を保持し続け、奥さんが心配するほど書きに書いた晩年の吉田健一。きっと、身体の生理や思考のリズムとあの文体がぴたりとかみ合ったのだろう。作家にとって文体とは、芸風とも言えるのだろうけど、なにより創造性とエネルギーの源泉でもあるのだと、つくづく認識させられた次第。






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飛魂(多和田葉子 講談社文芸文庫)

2013.03.18(Mon)

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飛魂 (講談社文芸文庫)飛魂 (講談社文芸文庫)
(2012/11/10)
多和田 葉子

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■以前読んだ、『現代日本の小説』 (尾崎真理子・ちくまプリマー新書)という本で、この作品が大絶賛されており(「この作品こそ、九〇年代日本文学の到達点を示す、隠れた傑作だろう」)、ずっと読みたいと思っていた。長く、絶版状態だったようだが、ようやく去年暮れに講談社文芸文庫から無事再版された。
確かに、これは傑作だと思う。実験的・前衛的な作風でありながら、軽やかで清々しく、小説として楽しく読ませてくれる。
多和田さんがここで試みているのは、ある種の言語実験による創作なのだが、とりわけターゲットにしているのは漢字である。巻末の「著者から読者へ」でこんな風に述べている。

◇「漢字を二つ組み合わせて、あるイメージを創り出すという半ば絵を描くような作業。声には出さないで、沈黙の中にあらわれる映像を楽しむ。例えば「梨」という字と「水」という字を組み合わせた時に生まれる水のしたたるような新鮮な歯ごたえ、光を含んだ限りなく白に近い緑色が赤らむ感じ、秋のひんやりした空気、成熟に向かうほんのりした甘さなど」

■ちなみに「梨水」というのは、この作品の話者である主人公の名前。他に登場人物の名を上げると、紅石、指姫、朝鈴、さらに軟炭、煙火、亀鏡など漢字二字で鮮やかにイメージを喚起させられるものが多い。その他、天候などの自然現象や、心霊現象、生物、食物、ファッションまで、能う限り、漢字を使った造語がちりばめられている。
このような、造語によるイメージ・リズムだけでも相当に新鮮な感覚に包まれるのだが、なにより、この新たな文体とストーリーとのマッチングが非常にいい。この言葉と文体がなかったら紡がれることのなかったストーリーといったらいいのか。
とはいえ、リアリズムから遠く離れた作品であるがゆえにそれを説明するのは難しいのだが、とりあえず、舞台設定は、こんな感じ。

◇「虎を求める心は、遠い昔からあったようだ。数百年前には、森林の奥深く住むと言われる亀鏡という名の虎使いの女を訪ねて、家を捨て、森林に入っていく若い女たちの数多くいたことが、寺院の記録などに記されている。虎使いの家のあったと言われる場所に今は寄宿学校ができている。やはり亀鏡という名前の女性が書の師として名を響かせている。そして数百年前と同じように、家を捨てて、その寄宿学校に向かう若い女たちがいる。梨水もある日、荷物をまとめて家を出た。梨水とは私の名前である」

■まるで、インドの著名なグルたちのアシュラムを想起させる。つまり、ここでの亀鏡をリーダーとする「寄宿学校」という共同体は、導師の下で覚醒を求め精神修養する道場、というイメージにかなり近いかもしれない。もっとも、グルのような存在である亀鏡は、時に母親のような母性あふれる存在として、時にエロチックな一人の女として、又あるときは、だだっ子のような幼児性を併せ持つ存在として描かれており、本物のグルのように決して高潔なだけの存在ではない。
この作品の魅力は、その寄宿学校での講義や生活、そして一つの事件の顛末を独自の文体と言語で描いていくところにあるが、わけても、話者であり主人公でもある梨水の成長・変化していく件は秀逸で印象的だ。
元々梨水は、できのよい生徒ではなく、どちらかというと、劣等生であった。

◇「わたしは、幼児館でも若年学校でも、書の運びも朗読の声響も鈍く、教師に褒められたことは一度もなく、特に弁論が苦手で、敵を舌で打ちのめすことなど思いもよらなかった」

そんな梨水だから、亀鏡の講義でも引っ込み思案であったのが、音読に指名され読み続けるうちに、難解な書の内容に近づくことができるようになる。さらに、その音読を聴いている聴衆にも呪術的な力を及ぼすことに気づく。

◇「わたしの声のよろめきに合わせて、聴衆の身体が右へ左へと揺れ動いているのに気がついた。聴衆を動かしているのは、わたしの喉から出る声そのものではなく、何か透明な袋のようなもの、宙に浮かびあがり、お互いに戯れ合いながら、人々を巻き込んでいく霊のようなものだった」

■ここで面白いのは、研究生たちが「音読」という身体を通した活動によって、「書」を学ぶ楽しさに目覚める梨水のようなタイプと、目読や討論という理知的な活動のみに価値を見いだすタイプに別れてしまうことだ。梨水のようなタイプは少数派である。
そしてある出来事がきっかけとなり、梨水は「学弱者」(低学力者)というレッテルを貼られてしまう。このたりは、現在の学校教育が抱いえている問題とも繋がっているようで面白い。
その後、寄宿舎を揺るがす騒動が持ち上がるのだが、この間の梨水の心の揺れや行動は、本当に瑞々しいタッチで描かれている。

■この作品は、後々、無性に読み返したくなるような作品になるだろう。はやりの言葉で言うと、その独特の「世界観」に、もう一度じっくりと浸りたくなるような、そんな予感が確かにするのである。「世界観」などというご大仰な内実を持った作品が、そうそうあるものではないだろう。しかし、この作品は、「世界観」と呼ぶに相応しい、孤高の独自性を保ちながらひっそりと佇んでいるように思える。









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快楽としての読書[海外編]  丸谷才一・ちくま文庫

2013.03.12(Tue)

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快楽としての読書 海外篇 (ちくま文庫)快楽としての読書 海外篇 (ちくま文庫)
(2012/05/09)
丸谷 才一

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■丸谷さんは、書評というものを心から愛し、書評を書き続けた人だった。若い頃からイギリスの書評に親しみ、九〇年代には毎日新聞の書評欄の大改革まで自らの手で断行した。将来、丸谷才一全集が編まれることになれば、きっと書評集だけで何巻かに纏められることになるだろう。実際、丸谷さんのように深い学識と膨大な読書量を持つ人にとっては、書評という仕事は、絶好の自己表現の場であったに違いない。なにより、楽しんで書かれているようだし、それに、文章のイキがいい(大家に向かってこんなことを言うのもなんだが)。
この本では、書評という仕事について次のように述べている。

◇「しかし紹介とか評価とかよりももっと次元の高い機能もある。それは対象である新刊本をきっかけにして見識と趣味を披露し、知性を刺激し、あはよくば生きる力を更新することである」

■書評の機能とは、単に本の紹介や評価にとどまらず、書評者の「趣味」や「見識」を披露し、読者の「知性を刺激」しなければならないと言うのである。これだけでも、かなり難しいハードルだ。さらに続けて。

◇「読者は、究極的にはその批評性の有無によってこの書評者が信用できるかどうかを判断するのだ。この場合一冊の新刊書をひもといて文明の動向を占ひ、一人の著者の資質と力量を判定しながら世界を眺望するといふ、話の構への大きさが要求されるのは当然だらう」

■書評を通じて、「文明の動向を占ひ」かつ「世界を眺望する」のである、と。こうなると、書評を通じての文明批評、あるいは社会批評にまで行き着く。これはもう、私のやっているような素人書評とは次元の違う話である。しかし、この本を読むと、書評に要求されるこれらの無理難題とも思える課題を、きちんと視野に入れられているのがわかる。
掲載されているのは、1970年代から2000年代初頭まで、ざっと40年間にわたる書評集だ。主に「週刊朝日」と「毎日新聞」に掲載されたものが多い。書評というフィールドにおける、丸谷作品のベストなアンソロジーである。

■40年にもわたる長いスパンでの書評集だから、この間の日本における海外文学の評価や受容状況が、最高の書評家の目を通して、ひととおり見渡せる。
マルケスやリョサなどのラテンアメリカ勢、カーヴァーやオースターなどのアメリカ文学。イシグロやバージェス、マキューアンなどのイギリス文学などが押さえられているのは当然だが、他に、歴史書や聖書関連、さらに思想・哲学まで、実に幅広く取り上げられている。

■そんななかで、私がもっとも気になった一冊がある。リチャード・ヒューズという人が書いた『ジャマイカの烈風』。なにしろ、丸谷さんのこの本への絶賛ぶりが凄い。まず、カフカの小説を引き合いに出し、その完成度や後世への影響力からして、「現代の古典」という位置に限りなく近いとしながらも、次のように述べてそれを退ける。

◇「古典がどうしても持ってゐなければならぬ、一種超越的な晴朗さを欠いてゐるのである」

あのカフカでさえ「現代の古典」たる資格には欠ける、というのである。その上で、この『ジャマイカの烈風』をこう評している。

◇「『ジャマイの烈風』は「現代の古典」と呼ぶにふさわしい数少ない長編小説の一つである。その完成度の高さは比類がない。その影響は、現代文学史のさまざまの地点に見ることができる(たとえばグレアム・グリーン)。そしてこの作品の透明で悲しい味わひについては、適切な形容の言葉を持たないことをたいていの批評家が嘆くに違いない」

「ヒューズはこの長編小説で、一群の少児たちを極限状況におくことによって、人間の原型としての子供をじつに見事に示してくれる。その際の小説技巧の巧妙さは舌を巻くしかないほどで、卑小な日常性のなかでの壮大な悲劇といふ小説本来の機能は、『ジャマイカの烈風』において模範的に提示されてゐると言ってよからう。」

■と、この書評集の中でも、ここまでの大絶賛はこの作品以外にないのでは、と思わせるほどだ。なにしろ、カフカを退けてまでこの作品を評価しているのである。小説の目利きである丸谷さんにとっても、相当リスクが伴い、それだけに、覚悟と気合いの入った書評にならざるを得なかったのでは、と思わせる。
私は、リチャード・ヒューズの名も、『ジャマイカの烈風』という作品もこの本で初めて知った。
それもそのはずで、一九二九年に書かれたこの作品は、一九七〇年になって初めて日本では翻訳・刊行された。その後、二〇〇三年に晶文社の「必読系!ヤングアダルト」というシリーズに加えられ、再刊されている。が、現在は、品切れ状態で、古本を漁るしかない。私は、アマゾンに出品されていた古本を思わずクリックした。しかし、ヒューズのその他の作品は、全く翻訳されていないようだ。
それにしても、隠れた傑作というのはあるもんだ、とつくづく思う。私にとっては、こういう新たな本との出会いが、書評を読む最大の魅力である。



ジャマイカの烈風 (必読系!ヤングアダルト)ジャマイカの烈風 (必読系!ヤングアダルト)
(2003/09/26)
リチャード・ヒューズ

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『笹まくら』 丸谷才一・新潮文庫

2013.03.06(Wed)

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笹まくら (新潮文庫)笹まくら (新潮文庫)
(1974/08/01)
丸谷 才一

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■昨年、亡くなられた丸谷才一さんの『笹まくら』を読んだ。先に読んだ川本三郎さんの『そして、人生はつづく』のなかで、魅力たっぷりに紹介されていたのが丸谷さんだった。あの本での、丸谷さんを巡るエピソードが抜群に面白く、改めて、文壇(ほぼ死語ですな)の大御所的な存在であった作家の本を手に取ってみたくなった。

川本さんは、『そして、人生はつづく』において、丸谷さんのことを次のように述べている。

□「丸谷才一は直接的な政治談義をすることはまずなかったが、「軍人嫌ひ」は一貫していた。いまこのことがあまり語られないが、改めて確認しておきたい」

『笹まくら』という小説は、「軍人嫌ひ」(「戦争ぎらい」といってもいいかもしれない)という丸谷さんの姿勢が明瞭に発揮された傑作だと思う。
なにしろ、主人公は戦時中、徴兵忌避者として砂絵師に身をやつし、逃亡生活を成功させるのである。こういうシチュエーションの設定に如何にも丸谷さんらしい、独特のセンスの良さを感じる。

■この本では、戦後、大学職員として生きる主人公の現在、そしてその生活に影を落とす徴兵忌避者としての過去、それらが入れ子細工のように交互に描かれる。
逃亡生活で幾度となく訪れる危機や、女性との邂逅・恋愛、徴兵忌避に至る経緯など、不明瞭だった主人公の輪郭が、読み進めるうちに徐々に明瞭な像を結び始める。その意味で、この小説は、ミステリーの謎解きのような趣がある。
さらに、この小説が今読んでも全く古びていず、むしろ新鮮な感じがするのは、戦後日本の社会が戦前の軍国的体質と地続きの状態であること。戦前なるものから、いささかの断絶や変更もなく、社会に深く根を張っていることをあぶり出しているからだろう。
そしてこの状態は、現在さらにその進行を加速し、憲法改正までが取りざたされている。
丸谷さんの遺稿が、終戦の日の一日を題材にした連作短編集であったということは、このような現在の日本の状況に対し、深い危機意識を持っていたことの表明ではないだろうか。

■ところで、この小説は、反戦・反体制(というより、むしろ厭戦・厭体制、あるいは嫌戦・嫌体制といった方が、この小説の雰囲気とフィットするかも)というメッセージを持ったものと言えるだろうが、なにより小説として面白く、楽しませてくれる。多彩な登場人物、ユーモラスな会話、緊張感溢れる官憲とのスリリングなやりとり、エロチックな性愛描写、言語遊戯のような酔っ払いの独白など、読者を小説にどっぷり引き入れる仕掛けが、そこかしこに張り巡らされている。読者は、小説家の企みに身を任せるだけでよい。心地よい読書体験を堪能することができる。










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gatemouth

Author:gatemouth
吹田の関大前で、「ゲートマウス」という小さなカフェを営業しています。
「ゲートマウス」は、「本が楽しめる、ミュージック・カフェ」、もしくは「音楽が楽しめる、ブックカフェ」といったイメージの店です。勿論、フードやドリンクも充実。是非お気軽にお立ち寄りください。日曜、祭日は休業。

吹田市千里山東1-11-16
TEL 06-6387-4690
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