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『笹まくら』 丸谷才一・新潮文庫

2013.03.06(Wed)

『日本文学』 Comment(0)Trackback(0)

笹まくら (新潮文庫)笹まくら (新潮文庫)
(1974/08/01)
丸谷 才一

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■昨年、亡くなられた丸谷才一さんの『笹まくら』を読んだ。先に読んだ川本三郎さんの『そして、人生はつづく』のなかで、魅力たっぷりに紹介されていたのが丸谷さんだった。あの本での、丸谷さんを巡るエピソードが抜群に面白く、改めて、文壇(ほぼ死語ですな)の大御所的な存在であった作家の本を手に取ってみたくなった。

川本さんは、『そして、人生はつづく』において、丸谷さんのことを次のように述べている。

□「丸谷才一は直接的な政治談義をすることはまずなかったが、「軍人嫌ひ」は一貫していた。いまこのことがあまり語られないが、改めて確認しておきたい」

『笹まくら』という小説は、「軍人嫌ひ」(「戦争ぎらい」といってもいいかもしれない)という丸谷さんの姿勢が明瞭に発揮された傑作だと思う。
なにしろ、主人公は戦時中、徴兵忌避者として砂絵師に身をやつし、逃亡生活を成功させるのである。こういうシチュエーションの設定に如何にも丸谷さんらしい、独特のセンスの良さを感じる。

■この本では、戦後、大学職員として生きる主人公の現在、そしてその生活に影を落とす徴兵忌避者としての過去、それらが入れ子細工のように交互に描かれる。
逃亡生活で幾度となく訪れる危機や、女性との邂逅・恋愛、徴兵忌避に至る経緯など、不明瞭だった主人公の輪郭が、読み進めるうちに徐々に明瞭な像を結び始める。その意味で、この小説は、ミステリーの謎解きのような趣がある。
さらに、この小説が今読んでも全く古びていず、むしろ新鮮な感じがするのは、戦後日本の社会が戦前の軍国的体質と地続きの状態であること。戦前なるものから、いささかの断絶や変更もなく、社会に深く根を張っていることをあぶり出しているからだろう。
そしてこの状態は、現在さらにその進行を加速し、憲法改正までが取りざたされている。
丸谷さんの遺稿が、終戦の日の一日を題材にした連作短編集であったということは、このような現在の日本の状況に対し、深い危機意識を持っていたことの表明ではないだろうか。

■ところで、この小説は、反戦・反体制(というより、むしろ厭戦・厭体制、あるいは嫌戦・嫌体制といった方が、この小説の雰囲気とフィットするかも)というメッセージを持ったものと言えるだろうが、なにより小説として面白く、楽しませてくれる。多彩な登場人物、ユーモラスな会話、緊張感溢れる官憲とのスリリングなやりとり、エロチックな性愛描写、言語遊戯のような酔っ払いの独白など、読者を小説にどっぷり引き入れる仕掛けが、そこかしこに張り巡らされている。読者は、小説家の企みに身を任せるだけでよい。心地よい読書体験を堪能することができる。










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「蔭の棲みか」(玄月 文春文庫)

2011.05.30(Mon)

『日本文学』 Comment(0)Trackback(0)

蔭の棲みか (文春文庫)蔭の棲みか (文春文庫)
(2003/01)
玄月

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■今年の二月、この本の著者・玄月さんがミナミにバー・リズールをオープンしたという。本がたくさん置いてあって、本好きがたまるバー。作家自身による朗読会などのイベントも企画しているとのこと。文壇バーっぽいテイストもありそうだ。なんとも、魅力的。しかも、バーテンとして働くことになったのが、本のオフ会にも参加してくれていたM君。是非ともお伺いしたいものと思っていたのだが、なにしろ、まだ玄月さんの著作を読んでいなかった。行くにしても、とにかく芥川賞受賞作『蔭の棲みか』だけは、読んでおきたいと思い、今回の読書会のテクストに。


■主人公のソバンは、幼い頃、親に連れられ日本に渡ってきて以来、大阪東部にある朝鮮人集落に住み続けている七十を過ぎた独居老人である。戦時中、徴兵され機銃掃射に遇い右手首を失う。戦後、集落に戻って結婚し子供ができる。しかし、ひとり息子は、過激な学生運動に関わり、リンチに遇って死んでいく。妻はその二年後、働いていた工場の裁断機で腕を付け根から断ち切られ失血死する。以来、妻が働いていた工場の持ち主永山から、補償として支給される食事と月二万の小遣でソバンは生きてきた。
大事なものを次々と失うだけの人生。普通なら、「恨」と呼ばれるような感情をため込んでいてもおかしくはない。しかし、作家が描く悲劇的な境遇の老人は、軽く、飄々としていて、愛らしささえ感じる。それは、集落とそれに連なる人々の、彼に対するまなざしの優しさに根ざしているのかもしれない。かっては、集落に住みつつも、豊かになるにつれ外へ出て行った在日の人たち。その、子どもたちが作る、草野球チーム「マッドキル」の若者たちとの交流。亡くなったひとり息子の友人で、開業医の高本。独居老人を訪問するヴォランティアの美しい中年婦人、佐伯さん。これらの人々との交流は、ほんのりしたユーモアと暖かさにくるまれていて、この作品の読みどころの一つになっている。


■それと対照的に、不穏な暴力の影も通奏低音として流れている。その代表が、貧しかった集落に小さな靴工場を建て、集落の暮らしぶりを変えた永山である。靴工場は、人々の生活を引き上げることにもなったが、ボスとして君臨する永山に対し、人々は「集落はやつのもの」という憤りとも諦めともつかない思いを刻み込んだ。この永山のイメージは、中上健次や梁 石日の作品に出てくる、インパクトの強いマッチョで暴力的な登場人物たちを想起させる。
もう一つは、ゆとりができて集落を出て行った在日朝鮮人に変って、住み着くようになった不法滞在の中国人たちである。集落は、永山の工場で低賃金で働くために雇われた中国人たちの宿舎と化していく。集落はそもそも、国家や公とは無縁に存在してきた。そこは、法による保護や保障とは無縁のコミュニティである。ルールを破るものには、彼らなりの流儀で制裁が加えられた。コミュニティを維持するための掟のようなものだ。ルールを破ったものに対する、暴力的な制裁は土地の記憶として、人々の間に残り影を落としている。


■また、軍人として戦争に徴用され、右腕を失ったにも関わらず、国からはなんの補償も受けられなかったことに対する、ソバンの思いも重要なモチーフになっている。最終的に、ソバンは、国家からの補償によって生きて来なかったがゆえに、集落のつながりのみで生きてきた自分を見出す。それに対し、高本は、こう語る。


◇「わしらの世代以降ではつけられんこの国へのけじめを、あんたらにつけてもらいたいんや。わしらは、いやわしは、あまりに無力や。そこそこの金と社会的地位を維持するだけで満足して、心もからだも弛緩しきっとる。」


■考えてみると、この小説が書かれた、90年代以降、社会は急激に変った。一方で、韓流ブームが高まり、日韓の垣根は一気に取り払われたようにも思うが、反面、小泉以降の急激な日本社会の右傾化に伴い、在日の人々を標的にした差別的なヘイト・スピーチを堂々と繰り返すような団体も現われている。在日の人たちは常に日本社会の荒波に揺れ動かされ続けてきた。この小説が書かれたのは、そんな荒波のなかで、一瞬訪れた凪のような時代だったのではないだろうか。
そのことが、高本に「心もからだも弛緩しきっとる」という台詞をつぶやかせているように思う。
不穏な空気と混じりながらも、凪のような時代の優しさやユーモア、ぬくもりは十分伝わってくる。ただ、現在、この時代、再び不穏な空気が漂いはじめている。そのような状況と対峙した小説を是非とも届けて欲しい。

<次回「本のオフ会」>

■6月18日(土) PM6:30~

■テクスト『ストリートの思想~転換期として1990年代~』(毛利嘉孝 NHKブックス)


一杯飲みながらの気楽な会です、お気軽にご参加を。



ストリートの思想―転換期としての1990年代 (NHKブックス)ストリートの思想―転換期としての1990年代 (NHKブックス)
(2009/07)
毛利 嘉孝

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『阪急電車』(有川浩・幻冬舎文庫)

2011.03.29(Tue)

『日本文学』 Comment(4)Trackback(0)

阪急電車 (幻冬舎文庫)阪急電車 (幻冬舎文庫)
(2010/08/05)
有川 浩

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■しみじみ懐かしい。阪急電鉄今津線、かって中学・高校時代を過ごした逆瀬川や小林の駅がある。60年代後半から70年代初頭にかけての、沿線界隈の情景が思い起こされる。その阪急電鉄今津線を舞台に描かれた連作短編集。私の人生において、最もお馬鹿で騒々しい時代を過ごした特別の土地だ。
世の中には、絵に描いたような瀟洒な家に住み、人も羨むような暮らしぶりの家庭というものが厳然と存在するのだということに、はっきり気づかされたところでもあった。といっても、それがルサンチマンになったり、トラウマになったりということでは全くない。テレビや映画に出てくる華やかな世界がリアルに存在するということに、はじめて気づかされたに過ぎない。それになにより、逆瀬川の自然環境が素晴らしかった。美しい住宅街と自然、それだけでなにやらウキウキした気分になったものである。
その今津線の宝塚から西宮北口までの七つの駅を舞台に、駅名がそれぞれタイトルとなった短編集である。


■西宮北口から宝塚までの今津線で、最も地味で、どろくさい感じだったのが小林だった。どろくさいというと、失礼に当たる、庶民的といったほうがいいのかも。「小林」と書いて「おばやし」と読む。ところが、この小林の駅が本作ではなかなかいい味を出している。やるじゃん小林、みたいな。(逆瀬川の駅と小林の駅のちょうど中間あたりに住んでいたのです。)こんな感じのストーリー。

主人公の翔子がつきあっていた同僚の元カレが彼女を裏切り、翔子の後輩にあたる女性と宝塚ホテルで結婚式を挙げることになる。翔子が彼と別れるときに出したたった一つの条件が、結婚式には必ず招待するというものだった。その結婚式に翔子は、新婦より美しく飾り立て、さらにプロのメイクで花嫁より艶やかないでたちで出席する。同じテーブルには、気の合う社内友達。みな、翔子の境遇にシンパシーを感じている。いきおい、華やかな結婚式でそのテーブルだけが、刺々しい異界を形成している。泣き出しそうな新婦と戸惑う新郎。これが、翔子の考えた新郎新婦に対する復讐だった。
こんな風に書くと、なにやらホラーかミステリーのように暗く重い世界を想起させられそうだが、この作品は、とてもライトにユーモラスに描いていて、そのバランスがとてもいいと思う。


■復讐は、ある種のカタルシスをもたらすものの、同時に自分にも跳ね返ってくる。自分の心をちくちく刺すような小さな痛みをもたらすものだ。そんな翔子の心を解きほぐしてくれたのが、小林の駅とその周辺の風情と人情であった。そんな小林という土地のもつ不思議なよさを翔子にそっと教えてくれたのが、逆瀬川の駅から孫を連れて乗り込んできた時江だった。そして、物語のバトンは翔子から時江と渡されていく。
こんな風に、電車の中でのささやかな出会いによって、物語はリレーされていく。
西宮北口から宝塚までの七つの駅を巡る往復十四の物語。読後感のさわやかないい雰囲気の短編集だ。たまには、なにも考えず、こんな世界に没頭するのもいい。
この作品は映画化されるようで、中谷美紀などが出演するという。多分、中谷美紀は、翔子役ではないだろうか。中谷美紀の翔子を想像しながら読むのも一興か。




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本のオフ会 『壁』(安部公房・新潮文庫)

2011.03.07(Mon)

『日本文学』 Comment(0)Trackback(0)

壁 (新潮文庫)壁 (新潮文庫)
(1969/05)
安部 公房

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■今回、「本のオフ会」で取り上げたのは、安部公房の『壁』。うちの店に来る学生さんたちに意外と人気があるのが、安部公房なんです。多分、日本の作家では一番といってもいいくらい。とはいっても、ぱっと思い浮かぶのが4~5人という程度なんですけどね。二万人の学生が通う大学ですから、その中では圧倒的少数派であることは、間違いないんですが。
しかし、本好きとはいえ、てんでばらばら、多様に散らばっている中では、奇跡的に多い数のような気がします。そんなこともあって、今回、安部公房を取り上げたのですが、あいにく、春休みの真っ最中。集まりが悪かったのが残念。また、機会を設けてもう一度取り上げてみたい。


■で、安部公房のデビュー二作目にして、芥川賞受賞作。とにかく実験的・前衛的な作品であるにもかかわらず、単純に面白い、楽しい、笑かしてくれます。サービス精神旺盛なエンタメ小説でもあります。このあたりが、安部公房の素晴らしいところですね。独りよがりの実験性に陥ることなく、ちゃんと読ませてくれる。私なんか、ほとんど深いことは何も考えず、安部が繰り出してくるアイデアやイメージを愉しむのみです。
ただし、以前読んだ『砂の女』や『密会』に比べると、濃度というか密度は薄く、大人の寓話かできのいいショートショートを読んでいる感じがしないでもありません。
よく、カフカの『審判』が引き合いに出されたりするようですが、あれとは全然別物のような気がします。『審判』に見られる、過剰なほどの饒舌ぶりや重苦しさはこの作品からは、あまり感じられません。


■1951年度の芥川賞受賞作ですが、そのいきさつがなかなか面白い。ここに詳しいいきさつが書かれていて、興味深く読ませて頂きました。(同時代人の読んだ安部公房)
この年(1951年上半期)芥川賞は、安部の『壁』と石川利光の『春の草』の同時受賞だったらしい。そして、審査員の評などから推しはかると、『壁』は、どうも石川作品の添え物というか、補完物的役回りだったようです。というのも、石川という人は戦前から活躍していて、既に一定の評価が与えられていた。ところが、力量があるはずの石川作品がイマイチなので、色をつけて、もうイッチョウということで、安部が押されたことのようです。当時の審査員たちの評価も面白いです。特に、宇野浩二のけちょんけちょんぶりは、当時の文壇の評価基準をそのままあらわしているようで興味深い。結局、当時の文壇の大御所・川端康成の押しで受賞の運びとなったとか。
石川利光という人は、その後、あまりぱっとしなかったようで、逆に、安部公房の活躍ぶりは世界的なものとなります。村上春樹も芥川賞と縁がありませんでしたが、これに安部公房まで取れなかったとしたら、芥川賞の権威、存在意義にもクエスチョンマークがつくところだったんですね。


■次回「本のオフ会」

○4月9日  PM6:30~

○テクスト『文藝春秋 3月号』(芥川賞受賞作特集)










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本のオフ会・『挟み撃ち』(後藤明生・講談社文芸文庫)

2010.10.12(Tue)

『日本文学』 Comment(0)Trackback(0)

挾み撃ち (講談社文芸文庫)挾み撃ち (講談社文芸文庫)
(1998/04/10)
後藤 明生

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■久しぶりの「本のオフ会」、今回は後藤明生の『挟み撃ち』(講談社文芸文庫)。前回の課題図書だった『むらぎも』(中野重治・講談社文芸文庫)と同様、特にストーリーといったものはなく、主人公がかって上京した頃に着用していて、いつのまにかなくなってしまった外套の行方をめぐる探求譚めいた話。主人公は、ある朝、かって着用していた旧陸軍歩兵用の外套のことを思い出す。そして、その日一日を昔住んでいた下宿や、通っていた質屋などを訪ねて、行方不明の外套の消息について情報収集するという、ある意味けったいな小説である。誰が、自分の着ていたものの消息を他人に尋ねたりしますかいな?
どのような経過でその外套が消失したのか、本人自身が記憶喪失しているわけだから、そもそも外套にどれほどの愛着を持っていたのかさえ定かではない。
しかしながら、全く意味のない外套かといえば、もちろんそうではない。


■この外套は、普通の外套とは違って、旧陸軍の歩兵用外套という変わった代物である。かって、軍国少年であった主人公にとって、敗戦とその後の社会の変化は、次のような実感を伴ったものであった。


●「しかし、わたしがそのとき、いわばダメ押しのような形で知らされたのは、わたしの知らないうちに何かが終わった、ということだけではなかった。今度はわたしが知らないうちに、何かがはじまっていたのである。いったい何がはじまったのだろう?」


●「実際、昭和七年にわたしが生まれて以来、とつぜんでなかったことが何かあったでしょうか?いつも何かがとつぜんはじまり、とつぜん終わり、とつぜん変わらなかったでしょうか?あるいは兄さんには、とつぜんではなかったかも知れません。また、兄さん以外の誰かにも、それらはとつぜんではなく、当然であったかも知れません。誰か、とは一体誰でしょう?もちろん、わたし以外の他人です。そのような誰かを、わたしも何人かは知っています。顔も名前も知っているものもあります。その誰かや、兄さんにとっては、当然過ぎるくらい当然であったことが、わたしには「とつぜん」であったわけです。いや、あったばかりではなく、たぶんこの先も、わたしが死ぬまで続くでしょう。」


■つまり、主人公にとって、敗戦とその後の社会の変化は、「とつぜん終わり」「とつぜんはじまる」もので、いつもその流れの埒外におかれてきたという実感のみが残っており、それは「死ぬまで続く」とまで言い切っているのである。戦後民主化された世の中で、旧陸軍歩兵用外套を着用して上京する主人公のいでたちは、自らのちぐはぐな内面を象徴するかのようでもある。
さらに、この作品では、外套という言葉からゴーゴリの「外套」という作品を想起するよう、し向けられてもいる。主人公は、ひたすらゴーゴリのような作品を書きたいと願う作家志望の中年男である。
外套は、よくよく考えてみると、主人公にとって二重の意味でかけがいのないものであった。つまり、社会の変化と祖語を来す自分というものの象徴として、そして、自分にとって最も大切な理想の象徴として。
その大事な外套を「ある日突然」思い出すというのが、この小説のとぼけたところでもあり、自分をも突き放したようなところでもある。


■とまあ、無理にこじつけて書くと、こんな具合にいろいろと想像を巡らすこともできる。しかし、そんなことより、たいした起伏もないこの小説がそれなりに面白いということのほうが、重要である。実際、私以外の参加者も面白いという評価であった。このなにも起こらない小説の面白さというのは一体なんなのだろう?
なにより、逸脱を重ねる饒舌な語りというのが魅力である。それは一つの出来事から過去への追想や連想へと繋げられ、そこに皮肉やユーモアが練り込まれる。ある意味だらだらと同じところをループするような感じなのに、それが不思議と心地いい。さらにいうなら、評論家の蓮實重彦は、この小説のことを「反ナルシズム」の小説と評している。なるほど、言われてみると、独特のグルーブ感を持つこの文体は、ナルシズムとは対極にある位置から語られているような気もする。私小説的な湿り気とは無縁で、ドライに自分を客観視しているような感じ。



■次回「本のオフ会」

●課題図書『停電の夜に』(ジュンパ・ラヒリ 新潮文庫)

●12月4日(土)PM6:30~


停電の夜に (新潮文庫)停電の夜に (新潮文庫)
(2003/02)
ジュンパ ラヒリ

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gatemouth

Author:gatemouth
吹田の関大前で、「ゲートマウス」という小さなカフェを営業しています。
「ゲートマウス」は、「本が楽しめる、ミュージック・カフェ」、もしくは「音楽が楽しめる、ブックカフェ」といったイメージの店です。勿論、フードやドリンクも充実。是非お気軽にお立ち寄りください。日曜、祭日は休業。

吹田市千里山東1-11-16
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