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『近代文化史入門ー超英文学講義ー』(高山宏・講談社学術文庫)

2009.10.07(Wed)

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近代文化史入門 超英文学講義 (講談社学術文庫)近代文化史入門 超英文学講義 (講談社学術文庫)
(2007/07/11)
高山 宏

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■猛烈に面白い本。英国文学史を、文化史や精神史と絡めながらダイナミックに展開する様は、実にスリリング。著者曰く、「美食や男女性愛にしか快を見ない気風やお国柄の中で、知識や学問に快を感じ、思い切り楽しむ感性がもっともっと広まって欲しいという一心で旧著はつくった。」という通り、学ぶことの楽しさ知の快楽というものを、掛け値なしに体験させてくれる。


■この知的ダイナミズムの面白さは、何に由来しているのか。多分、それは著者もどこかで語っているように、思いがけないもの同士が、どこかで繋がっているという驚きから来るのだろう。それは、「つなげることで人を驚かせる技術論」「つなげる方法として魔術的なものをいとわない」というホッケのマニエリスム論そのものでもあるようだ。文学という狭い世界だけで自足していてはとうてい見通せない、新たなパースペクティブに違いない。


■出発点はシェイクスピア、十七世紀イギリスである。シェイクスピアは、十七世紀以降冷遇されていくのだが、背景に王立協会の設立による「それまでの古典的なイギリスの抹殺」があった。近代科学の成立による、「曖昧」や「非合理」の排除という事態。ところが、その科学が、近代文学の成立に際しては、強力なツールを提供することになる。王立協会の四代目会長になるニュートンは、近代科学だけではなく、芸術分野にまで思わぬ影響を与えた。ニュートンの難解な『光学』という本は、大評判を呼ぶのだが、読者の多くは文学者とりわけ詩人たちだったという。『光学』によって、「見る」ことの複雑な本質へと分け入ることが可能になった。詩や文学における情景描写が、格段に精密になっていくのである。
また、十八世紀にイギリスでは、グランド・ツアーと呼ばれる、古代ローマの遺跡とルネッサンスの国イタリアを目指した旅が盛んになる。その中で、絵の魅力を知り「風景」を発見していく。イタリアで見てきた絵の額縁をヒントに、長方形の世界の中に風景をスケッチする技術が生まれることになる。いわゆる、ピクチュアレスクの誕生である。
ニュートンの『光学』とピクチュアレスクの風景描写は、十八世紀後半、ロマン派などの文学運動に大きな影響を及ぼす。そして、そのロマン派の作家たちが、大の「見ること」好きで、ワーズワースなどは、晩年ロンドンのパノラマ館通いに精を出していた。


■とまあ、こんな具合に十七世紀から二十世紀まで、「急ぎ足ではあるが、ぼくが三十年かけて考えてきた「英文学」について記す。」というわけだ。
なにせ、情報量がとてつもなく多く、しかもその一つ一つが刺激的である。ここに紹介されている様々なトピックを、これからゆっくり咀嚼していくのも、老後の楽しみの一つになりそう。巻末にブックガイドが掲載されていて、これらを眺めつつ次の展開を考えるのも楽しい。



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 『中公新書の森/2000点のヴィリジアン』 思わぬ掘り出しもの!

2009.08.14(Fri)

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中公新書の森リサイズ_20090814173750





■お盆で帰省中の実家近くの書店で、中公新書通刊2000点を記念して刊行された『中公新書の森』を手に入れる。ただほど高いものはないというが、これは、ただで思わぬ掘り出し物を手に入れたという感じ。中公新書は、1962年秋の創刊だそうで、47年に及ぶこれまでの流れを振り返る意味で、なかなか貴重な冊子だと思う。
エッセイ、対談、そして、179名の人々による「思い出の中公新書」のアンケート、さらに全点リストも掲載されている。圧巻は、179名のアンケートで、これが絶好のブックガイドになっている。
私の場合、中公新書には、これといって馴染みがあるわけではなく、というか、新書全般にわたって、それほど興味・関心があるわけではない。昨今、どこの出版社も軒並み新書を刊行し、安易なハウツーものや、時流に便乗しただけの出版物が目につき、イメージとしてはあまりよくない。しかし、中公新書の場合、そのような傾向がほとんどなさそうで、時流とは無関係に、著者に書きたいテーマをきちんと書ける場を保証しているようで好ましい。このアンケートを読むと、渋いラインアップで知られる中公文庫同様、新書の方も読んでみたい名著が数多くあり、今更ながら目から鱗。


■今回の『中公新書の森』では、先ほども触れたように多くの方からアンケートを採り、それがそのまま掲載されているわけだが、これだけの多数のアンケートともなると、中公新書の中の名著群が過不足なく、くっきり浮かび上がってきて貴重だ。
その中から、多くの人が挙げた本をランキングしてみると、下記のようになる。


1位『アーロン収容所』(会田雄次)
2位『ある明治人の記録』(石光真人編著)
3位『科挙』(宮崎市定)
4位『教養主義の没落』(竹内洋)
5位『秩父事件』(井上幸治)
5位『二.二六事件 増補改版』(高橋正衛)
7位『キメラー満州国の肖像 増補版』(山室信一)
7位『清沢洌 増補版』(北岡伸一)
9位『言論統制』(佐藤卓己)
9位『国際政治』(高坂正堯)
9位『日本の外交』(入江昭)


このあたりは、それこそハズレなしの名著なんでしょうね。機会があれば是非読んでみたい。しかも、ブックオフ等ですぐにでも手に入るところがなんとも魅力的、なんだかんだ言っても恵まれた国ではある。5位の『教養主義の没落』は、竹内洋先生の著作。うちの店にも、何度か来店されたことがある。しかも、2003年刊ということで、ランキング上位の中では圧倒的に新しい刊行で、新たなクラシックの誕生と言っても過言ではないだろう。


■ところで、このランキングから漏れた本にも、魅力的なものがずらりとあってそそられる。そんななかから、気になるものを以下に。


●『快楽の本棚』(津島佑子)
●『時間と自己』(木村敏)
●『国際歴史教科書対話』(近藤孝弘)
●『実録アヘン戦争』(陳舜臣)
●『世紀末の街角』(海野弘)
●『明治の異才 福地楼痴』(小山文雄)
●『道楽科学者列伝』(小山慶太)
●『電車の運転』(宇田賢吉)
●『南京事件 増補版』(秦郁彦)
●『博覧会の政治学』(吉見俊哉)
●『文学カフェ』(菊盛英夫)
●『安田講堂1968ー1969』(島泰三)
●『ルワンダ中央銀行総裁日記』(服部正也)
●『私の二十世紀書店』(長田弘)
●『批評理論入門』(廣野由美子)


読みたい本のリストが増えるということは、実に楽しいものです。


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四方田犬彦ブーム!『人間を守る読書』を読む。

2009.06.12(Fri)

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人間を守る読書 (文春新書)人間を守る読書 (文春新書)
(2007/09)
四方田 犬彦

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■最近、四方田犬彦さんの本にはまっている。きっかけは、『人間を守る読書』(文春新書)という書評集。これが、なかなか面白くて、次に、『先生とわたし』(新潮社)を読む。これは、久々の一気読みという感じで、私的には、今年読んだ本のベスト3には確実に入ると思う。と、ここまで書いて、ネットで四方田犬彦を検索してみると、ウィキペディァがあり読んでみると、かなりぼろくそに書かれている部分がある。とりわけ、今現在読書中の『ハイスクール1968』は、事実関係を巡って矢作俊彦さんと一悶着あったたらしい。しかし、『先生とわたし』もかなりスキャンダラスな内容を含んでいる、こちらもクレームが来ているのかも知れない。


■四方田さんというと、私は、今まで『モロッコ流謫』(新潮社)や『月島物語』などは、読んできたのだが、そんなに印象には残っていなかった。それが、ここへ来て一気のまとめ読みにまでのめり込んでいるのは、先にも触れたように『先生とわたし』があまりにも面白かったからだ。
四方田さんというと、映画史研究が本業の方なのだが、他にも漫画評論や、文学評論、さらには、旅や自伝的なエッセイなど幅広い著作活動でも知られている。そして、その著作数も既に百冊を超えているとのことで、大学教師という職業をこなしながらということを考えると、ある意味、驚異的なペースと言えるのではないか。


■さて、その私の四方田ブームのきっかけとなったのが、『人間を守る読書』というブックガイド本なのだが、ブックガイドとはいえ、この本には、ある意味、四方田犬彦という人物のエッセンスが、凝縮されているのではないかと思う。というのも、この本で取り上げられているのが、恐ろしく幅広いのである。専門の映画や漫画、文学はいうに及ばず写真集や音楽関連本、挙げ句の果てに料理本まで俎上に挙げられている。というわけで、もはや生身の四方田犬彦が、顔を覗かせているかのような感さえある。さらに、地域的にも多様で、とりわけアジアやパレスチナ関連の本が多いのも、この本の個性を物語っているように思う。それらの地域は、サイードが『オリエンタリズム』においてその言説の対象とした地域であり、本書で真っ先に取り上げられているのが、その『オリエンタリズム』である。四方田さんの研究者として、あるいは批評家としての基本的な立脚点が、サイードの生き方やその思想にあるということだろう。


■さて、取り上げられている本で、気になったのものを何冊か挙げてみると。
鈴木道彦さんの『越境の時 一九六〇年代と在日』(集英社新書)という本。鈴木道彦さんというと、プルーストの『失われた時を求めて』の完訳者である。その鈴木さんは、「一九五〇年代後半から六〇年代にかけて、何人かの(在日)朝鮮人が犯した事件に関わり、彼らの動機と陳述をわがこととして深く読み込み、その法廷闘争に深くかかわったのである。」という。これには驚かされた、あのプルーストの翻訳者が、こんな活動を行っていたとは。プルースト研究というと、あの高尚で長大な小説と格闘するわけだから、なんとなく、世間から離れ、研究室にこもって孤独に研究を続けるというイメージがあった。それが、社会の底辺で、差別や偏見を一身に背負いながら、犯罪に追い込まれたマイノリティの心情に寄り添うような活動を行っていたとは。これは、驚きであると同時に、ある種の感動を受けた。


■また、『悲楽観屋サイードの失踪にまつわる奇妙な出来事』(エミール・ハビービー/山本薫訳 作品社)は、この本で紹介されていて読みたくなり、気になっていたのだが、行きつけの古本屋天牛江坂店にあることが、ネットで判明し即買い。「イスラエルという国家が出来て、父親と驢馬を殺され、ただ一人生き残った少年が、気が狂いながらいかに生き延びていくかを描いた、パレスチナの夢野久作みたいな小説」と紹介されている。


■さらに、『楽園の鳥』・『ノスタルギガンテス』、ともに寮美千子さんの著作。この寮さんは、一度うちの店に来店されたことがある。確か、『楽園の鳥』が泉鏡花賞を受賞されて、そのお祝いということで、関西在住の知り合いの方々が集まられたのだと思う。そして『楽園の鳥』は、そのとき、作者である寮さんから贈呈されて、今もうちの店の書棚を飾っている。それにしても、寮さんの本を二冊もここで取り上げられているということは、四方田さんもかなりの寮さんファンなのだろう。
もう一冊、『岩佐なを 銅販画蔵書票集』、この本も以前、雑誌の編集をしていたときに、送っていただいた本で、店の棚に置いてある。このようなマイナーポエットの作品に、目配りが効いているのもこの本の特徴だろう。


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『文芸時評という感想』(荒川洋治・四月社)

2009.05.12(Tue)

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文芸時評という感想文芸時評という感想
(2005/12)
荒川 洋治

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考えてみると、新聞等に連載される「文芸時評」というというものを、あまり意識して読んだことはなかった。 面白い本を探すのであれば、各種メディアに掲載される「書評」の方が効率的だし、なにより「文芸時評」のいかにもおカタい佇まいが、私を遠ざけいていた最大の 要因だろう。
私だけではなく、文学の専門家ではないごく普通の本好きにとって、「文芸時評」といいうのは意外に遠い存在なのではないだろうか。
そんな私が、『文芸時評という感想』というタイトルの本をを手にとったのは、高橋源一郎さんの『ニッポンの小説ー百年の孤独ー』を読んでのことだった。高橋さんは、小説を読むより文芸時評を読む方が好きという人だが、 この自分の嗜好に対してある時期、悩んだと言う。 つまり、小説自体を読むよりそれを論じた方が面白いというのは、本末転倒ではないかと。そんな、「文芸時評」マニアの高橋さんが、「深い深い感銘を受けた」というのがこの『文芸時評という感想』なのだ。


この本は、荒川さんが、一九九二年から二〇〇四年までの十二年間、産経新聞の朝刊に連載した文芸時評をまとめたものだ。このフルマラソンのような文芸時評をはじめるにあたって、荒川さんはこんなふうに抱負を語っている。


●「誰にもわかる文芸時評」が理想。でもこれは力に余る。そこで「僕にもわかる文芸時評」をこっそり目指すことにした」


なんとも肩の力の抜けた、あのいかにもカタそうな「文芸時評」欄のイメージとは対極の、軽快な決意表明。さらには、本のタイトルにもなっているように、「文芸時評」= 「感想」という視点。「批評」ではなく、あくまで「感想」。この あたりも「文芸時評」というものを専門家の堅苦しい世界から、もっと風通しのよい日常の世界に解放しようという志向が表れているようだ。
そんなふうに、肩の力を抜いたせいもあるのか、実にシャープな批評の言葉が飛び出してくる。例えば、ノーベル賞を受賞しキャリアの絶頂期にあった大江健三郎氏に対するこんな批評。


●「このたびのノーベル賞受賞で、これからも多くの人が読むことになるのだろうが、あんなにこむずかしいものがこれまで熱心に読まれてきたことじたい不思議である。特に近年は、大江氏の作品がわからないなどとしては世間に遅れをとると感じる知識人や読者がいたことは事実だろう」。


私は、大江ファンなのでちょっと複雑な心境なのだが、言わんとしていることはわからないことはない。また、『中上建次全集』が、柄谷行人、浅田彰、四方田犬彦、渡辺直己という四人の先端批評家によって編集された件に対して。


●「中上文学の大きさや重みは、この四氏のようないわば知の最先端にいる人たちにしか完全には理解できないものである。あるいはそういうものにしたい、という思いのあらわれかもしれない。そのことに少し暗澹とする。」

●「作品を「テクスト」と書き、文学的目標を「プロジェクト」と呼ぶ、そういう<感覚>で埋めつくされている。文学を批評というよりむしろ学問のレベルで説き明かすことで、権威づくりを図ろうとしているとも読めるのだ。」


これまた手厳しい、しかし痛快。
さらには、宮沢賢治論ブームついて、


●「なにがオーダーか。モチベーションか。ネットワーク?マテリアル?生前は世を挙げて無視した詩人を、まるで自分が発見したように書き、そして自分の現在の生き方とは切り離したところでまつりあげる、今日の宮沢賢治論。」


とまあ、こんな具合で知的権威筋をぶった切るさまは、読んでいて爽快で気持ちいいものである。私のような天邪鬼は、こんな鋭い批判につい目を奪われがちだが、それだけではなく、勿論すぐれた作品へのきちんとした評価や、読書界の良心的な流れも押さえている。例えば、この時期再評価された幸田文、木山捷平について。


●「没後十年の一九九一年『崩れ』からはじまた幸田文の再評価、また数年前からの(講談社文芸文庫『大陸の細道』の吉本隆明の解説などが契機になったかと思われるが)庶民派文士木山捷平の静かなる復活は、広告媒体や文壇が画策したものではない。読者の小さな声が次第に共感者を呼び集めた結果である。良質の自主的な読書が出版界を動かした、好もしい事例だと思われる。」


さらには、久世光彦の(隠れた?)傑作『蕭々館日録』については、


●「小説はこんなに楽しいことを、いっぱいしてくれるのだ、というふうに感じさせてしまう。そういう「アトモスフェア」がこの作品にはある。複数のステージとレベルをもつ、ゆたかさ。この作品はいまの文壇小説にはない、明るい空気にみたされているといえるだろう。」


この作品は、私も読んだのですが確かにおもしろかった、もう一度読んでみたくなった。さらにもうひとつ極めつけの評価を下しているのが、村上春樹の『神の子どもたちはみな踊る』。


●「『神の子どもたちはみな踊る』はどれもみごと。文章もすみずみまで神経がゆきとどき(「かえるくん」がものを言うときと、話を終えたときの動作ひとつ見ても)、読者を十分に楽しませ、憩わせ、考えさせる。そして作品はその奥に「闇」をもつ。こういうものは他にみあたらない。そこには読者に向けての「想像力」があるのだ。まばゆいばか りに、それがはたらいているのだ。こうなってみるとこの日本では 村上春樹だけが小説を書いているのだといえかもしれないが、だとしたら村上氏ではない人たちはどんな気持ちなのか。」


と、「村上春樹だけが小説を書いている」とまで言い切ってしまう。私もこの作品は、楽しめた。しかし次作の『海辺のカフカ』では、評価が百八十度変わる。


●「『海辺のカフカ』は従来の村上作品のつぎはぎであり娯楽作品としても不首尾だった。『海辺のカフカ』には、読者はいなかったのではないか。」


「読者はいなかったのではないか」と、強烈な批評。追い討ちをかけるように、村上春樹は、『神の子どもたちはみな踊る』で頂点をきわめたのだから他分野の表現にうつるべき、と実に身も蓋もない批判である。しかし個人的には、この見解にほぼ同感。この作品は、それなりに楽しめるのだが、『神の子どもたちはみな踊る』に比べるとクォリティはかなり落ちると思うし、表現もありきたりではないか。
新作がそろそろ発表されるようだが、どんなもんだろう?


最後に、この本で紹介されている作品のなかで特に読んでみたいと思ったのが、芥川賞作家、森敦の没後十五年の二〇〇四年に発表された、森の弟子であり養女でもある森富子による『森敦との対話』という実録小説。森敦は二十二歳のとき、横光利一の紹介で東京日日新聞と大阪毎日新聞に『酩酊船』掲載したのだが、それ以降、実に四十年間、彼は作品を発表することなく全国を放浪する。そして、六十二歳のときに、『月山』で芥川賞を受賞。私は森さんの持つ、日本の文壇的スケールを悠々と超えたような経歴が示す、自由かつ奔放な生き方に前々から強く惹かれていた。それが、こんな形でまとまっているのだから、これは読まないわけには行かない。



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Author:gatemouth
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