スポンサーサイト

--.--.--(--)

『スポンサー広告』 Comment-Trackback-
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
『街場のメディア論』(内田樹・光文社新書)

2010.09.13(Mon)

『政治・社会・経済』 Comment(0)Trackback(0)

街場のメディア論 (光文社新書)街場のメディア論 (光文社新書)
(2010/08/17)
内田 樹

商品詳細を見る


■内田樹さんの新刊、凄く売れているようだ。アマゾンの(新書・文庫)(社会・政治)両部門で売り上げが1位。メディアの抱えている問題点やいかがわしさが人々の意識にのぼってきたということだろう。時あたかも、民主党の代表選のまっただ中。ここで、奇妙な現象がおきつつある。新聞やテレビは、世論調査を実施し管首相の圧倒的支持率を喧伝している。ところが、ネット上で同様の調査を行うと、小沢支持が圧倒的なのである。小沢支持のブログも熱を帯び活況を呈している。さらに、全国三カ所で行われた立ち会い演説会、どの会場でも「オザワ・コール」が会場を覆った。


■大手メディアとネット世論、いったい、どっちが正しく現状をすくい取っているのか。一概には言えないところもあるとは思うが、少なくともネット上での世論や、立ち会い演説会での小沢支持の地熱のような熱気についても、メディアはきちんと触れるべきだろう。自分たちが行った世論調査のみを振りかざし、大々的に報道するというのはある意味、「世論」を盾にした圧力、特定の候補への支持を誘導するかのようだ。おそらく、メディアは巧妙に振る舞っているつもりだろうが、そのおかしさに人々が気づきはじめたというのが、メディアを巡る危機の深層ではないだろうか。よく、新聞売り上げの低下や、視聴率の低下をネットの普及のせいにする論調があるが、本当にそうだろうか?それに対して、内田さんはきっぱりこう答えている。


「きびしい言い方ですけど、ジャーナリストの知的な劣化がインターネットの出現によって顕在化してしまった。それが新聞とテレビを中心として組織化されていたマスメディアの構造そのものを瓦解させつつある。」


■クォリティの劣化とビジネスとしての失敗は表裏一体のものだ。ネットでは得られない貴重な情報にアクセスできるのなら、誰だって喜んで新聞を取り続ける。さらに、メディアの知的劣化ということに絡んで、内田さんは面白い指摘している。「一種の社会的危機にまで肥大化した」というクレイマーの存在である。
一見無関係に思える、クレイマーの増加とメディアの「知的劣化」、その相関関係を解きほぐしていくのが、この本の一つの柱になっている。テレビや新聞では、なにか事件があると、コメンテーターや記者が被害者の立場に立って、いかにも良心的な口ぶりで加害者や管理責任の立場にあるものに批判的なスタンスをとる。あたかも「庶民の代表」のような顔をして。これはこれで、悪いことではない。とりわけ、フェミニズムやポストコロニアリズムの文脈でそのようなマナーが出てくるのは、当然である。問題は、市民的権利や能力を十分に備えトラブルを回避できる立場にあるものが、あたかも「弱者」であるかのように装い、とりあえず「被害者」であるかのように振る舞うクレイマーの存在である。


■教育現場におけるクレイマーの例は、モンスターペアレンツという形で、社会的な批判が行われるようになってきた。が、もう一つ、クレイマーに増加によって深刻な事態に陥っているのが、医療の現場である。医療の現場では、「立ち去り型サボタージュ」という、現象が起こっているという。


「医療現場で医師たちが刑事告発されて、有罪判決を受けるということが続いた結果、裁判のリスクを怖れて、産婦人科や小児科などトラブルの多い診療科から続々と医師が立ち去っている現状を指す言葉です。医師を確保できない病院はもう医療拠点としての機能を担えなくなっている。」

「結果的に専門病院に患者が集中し、医師もナースもオーバーワークになり、トラブルが発生し医師たちが病院を去る………」


■このような「負のスパイラル」が医療現場で進行しているというのである。もちろん、医療事故にはそれぞれの事情があり、短絡的にクレイマーの問題と混同するのは誤りだろう。しかし、背景にあるのは、医師と患者との信頼関係の崩壊だろう。教育にしろ、医療の現場にしろ、そこで営まれている営為、関係性は今や「商取引モデル」に換喩されている。すなわち、教師=生徒、医師=患者の関係性は、売り手と買い手の関係性にすり替わってしまった感がある。サービスを受ける側が、提供されるサービスの質について、あれこれ審判する正統な権利を持つ。ついでに言うなら、消費者を神のように崇め立てる風潮は、一方で労働者の権利については冷淡である。消費者の神格化と労働者のモノ化は、表裏一体の形で進行するかのようだ。新自由主義経済学の下では、労働者は市場において片隅に追いやられる。この「市場原理主義」の台頭こそ、クレイマーという「集合的な病」発生の思想的温床である。メディアや経済アナリストと呼ばれる連中は、そのお先棒を担いでいるのである。


「そのモデル(市場原理主義)を行政もメディアも、医療に適用しようとしました。その結果が「できる限り医療行為に協力せず、にもかかわらず最高の医療行為を要求する患者」たちの組織的な出現です。」


■もちろん、個々の患者たちの人格的欠陥をあげつらってもなんの意味もない。それは、「イデオロギー的に勧奨された振る舞い」に他ならないからだ。そして、「弱者」と「消費者」を混同した「正義」が紙面をにぎわし、お茶の間に垂れ流される。結果、メディアの報道は、パターン化された文型が金太郎飴のようにずらりと並ぶ。
メディアのパターン化された文型を、内田さんは「定型」といって、これが「知的劣化」と「思考停止」を生む最大のガンであると述べる。例えば、小沢一郎という政治家の巻頭詞は「政治とカネ」「豪腕」である。可哀想なくらいワンパターン。メディアは、このフレーズを飽きもせず、30年くらいは使い回してきたのではないか。おかげで、小沢一郎=政治とカネというフレーズが蔓延しすぎて、どっちが名前でどっちが形容詞か定かではないほどである。政治という世界に対するメディアのワルモノ叩きは、情け容赦ない。
その結果、


「国際情勢については、通信社のニュースを機械的に配信するだけ、内政については「善悪二元論」で「犯人捜し」と「ワルモノ叩き」を繰り返すだけ」


■日本という国の衰退にとって、確かに政治の貧困の問題は大きいとは思う、しかし、この点については、メディアは自ら「政治家と同罪である」というくらいの認識を持っていい。さきに「政治とかね」というお得意のフレーズが自らを自縛しているという例を挙げたが、「財政再建」あるいは「改革」という言葉にことのほか弱いという特徴も併せ持つ。小手先の言葉(フレーズ)についつい寄りかかってしまうのである。
フィンランドという国は、あらゆる面で、トップクラスの競争力を持っている国だが、最も力を入れているのは教育だという。国民に対する情報提供、教育、という面で日本のメディアの果たす役割の大きさを考えるならば、その「知的劣化」は犯罪的ですらある。
内田さんは、そのような大手メディアの間隙を縫って、ブログやツイッターといった、中間メディアがより精度の高い情報を発信し、人々の信頼を勝ち取っていくという事態は、これから大いにありうると予測している。そしてそれは、オバマの勝利や韓国での状況など世界中で現実のものになりつつある。そういう意味でも、今回の民主党代表選における、ネット界隈の評判と、大手メディアの乖離というのはその前兆とも受け取れる。地殻変動のように深いところでメディアに対する不信が広がっており、さらにその亀裂は大きくなっていくだろう。ネット世論が、既存メディアの壁を打ち破り、政治を動かすエネルギーになる日は、すぐそこまで来ているのかも知れない。


関連記事
トラックバックURL

http://gatemouth8.blog87.fc2.com/tb.php/78-390a5eec

トラックバック
コメント
管理者にだけ表示を許可する
 
▼ プロフィール

gatemouth

Author:gatemouth
吹田の関大前で、「ゲートマウス」という小さなカフェを営業しています。
「ゲートマウス」は、「本が楽しめる、ミュージック・カフェ」、もしくは「音楽が楽しめる、ブックカフェ」といったイメージの店です。勿論、フードやドリンクも充実。是非お気軽にお立ち寄りください。日曜、祭日は休業。

吹田市千里山東1-11-16
TEL 06-6387-4690
MAIL gatemouth8@gmail.com

▼ 最新記事
▼ 最新コメント
▼ 最新トラックバック
▼ 月別アーカイブ
▼ カテゴリ
▼ FC2カウンター
▼ 検索フォーム
▼ RSSリンクの表示
▼ リンク
▼ ブロとも申請フォーム
▼ QRコード
QRコード

pagetop ↑

Copyright © 2017 gatemouth all rights reserved.
Powered By FC2 blog. Designed by yucaco.

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。