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『1Q84』(村上春樹・新潮社) 本のオフ会

2010.07.03(Sat)

『日本文学』 Comment(0)Trackback(0)

1Q84 BOOK 11Q84 BOOK 1
(2009/05/29)
村上 春樹

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1Q84 BOOK 21Q84 BOOK 2
(2009/05/29)
村上 春樹

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■村上春樹というと、「デタッチメント」と「コミットメント」というキーワードが思い起こされる。社会そのものや社会的な問題に「触れない・関わらない」という立場から、「触れる・関わる」という立場への転向。その象徴が、オウム事件の関係者に対し自ら直接インタビューを行い、『アンダーグラウンド』というノンフィクションに纏めたことだろう。
作家を「デタッチメント」から「コミットメント」へと向かわせる強烈な引力が、オウム事件にあったのは間違いない。しかし、もっと言うなら、村上春樹という作家好みのテーマがオウム事件には内包されていた、ように思うのだ。そのテーマとは、次のようなものだと思う。「善や正義を振りかざす集団が、純化し原理主義化すると、観念の暴走が始まり悲惨な結末を迎える」、ということ。そう考えると、ことはオウム事件だけではなくもう少し広いパースペクティブで考えることが出来る。典型的なのは、連合赤軍事件である、或いは、70年代多発した内ゲバ殺人などもその例となるだろう。もっというなら、村上春樹自身が身を置いた学園紛争の中での運動組織にも、小児病的な観念の暴走が垣間見れるかも知れない。
作家としての出発点が「デタッチメント」という立場であったのは、観念ばかりが肥大化し現実との接点を失った「政治の季節」へのアンチテーゼこそが、作家の核としてあったからだろう。


■今回の『1Q84』は、オウム+ヤマギシのような宗教コミューン「さきがけ」という組織が登場する。この組織は、もともと左翼運動のサークルが、エコロジカルなコミューンとして立ち上げたもので、この点では明らかにオウムとは違う。むしろヤマギシの方に似ているかも知れない。オウムは左翼というより、サブカルの方の影響(宗教的なもの以外は)が強いのではないか。実際、オウムのメンバーは、団塊以降の世代が中核をなしている。
ただ、この作品に登場する「さきがけ」は、ある時点から徐々にカルト化していくので、そのあたりは、オウムに段々重なっていくと言えるかも知れない。
「さきがけ」の教祖は少女性行を重ねていて、そのリーダーを惨殺するために、主人公の「青豆」は、彼と接触する。そして、会話を重ねるうちに、教祖の持つ独特の魅力と少女性交のいきさつを聞くにつれ、殺すことをためらうようになる。単なる、少女性愛者ではなく、そこには深い理由があったのだ。
また、『1Q84』では、「さきがけ」と同様、重要なキャラとして「リトル・ピープル」という強大な力を持った小人達が登場する。これは、ジョージ・オーウェルの『1984』における、独裁者「ビッグ・ブラザー」に対応するキャラだろう。「リトル・ピープル」もやることはえぐいものの、いたずらっぽいキャラで何処か憎めない。「さきがけ」のリーダーにしろ、「リトル・ピープル」にしろ、単純にその行動だけを見ると、世間の常識とは相容れない。暴力的で破壊的な面がある。しかし、その表層の奥にあるのは、彼らなりの「善」であったり「誠意」であったりする。
つまり、『1Q84』のメッセージとしてもう一つあるのは、「完全な善や完全な悪などというものは存在しない」、ということだろう。そして、結局のところ善と悪のバランスが大事で、それが崩れたとき「リトル・ピープル」は動き出す。
素晴らしいメッセージだとは思う。しかし、「コミットメント」を始めた作家が、今、読者に届けるべき物語・メッセージとしてこれでいいのかという、物足りなさをどうしても感じてしまう。
ストーリーとしては面白い、展開も速いしシチュエーションも絶妙、作品世界にぐいぐい引きこまれる。
しかし、私としては、ジョージ・オーウェルが近未来としての『1984』を書いたように、村上春樹にも近未来の小説をこそ書いて欲しかった。近過去としての『1Q84』なら、自家薬籠中の上に挙げたような、出がらしのメッセージで創作可能だろう。1995年という年は、世間一般の耳目はオウムや震災に注がれていたものの、オウムとは次元の違う激動が始まった年でもあったように思うのだ。目には見えない社会の土台の部分で、大きなシステム変更が始まろうとしていた年でもあった。もっと言うと、村上春樹があまり向き合いたくないであろう、「政治の季節」が、70年代とは違った形でせり上がってきたということだ。ここのところを避けた「コミットメント」は、私にはあり得ないと思う。


■村上が敬愛していたであろう、カート・ヴォネガットが、「作家は炭坑のカナリアになるべき」ということを言っている。炭坑では、酸素不足や有害ガスが発生したとき、それをすぐ察知するためにカナリアを持ち歩く。つまり、作家も鋭敏なアンテナを立てて、世の中の害になるようなことが起こったら、それをすぐさま作品化し世の中に警鐘を鳴らすことが、大きな仕事ではないかということだ。実際、ヴォネガットは、ブッシュのテロとの戦いをこき下ろした。
村上春樹もそんな意識を持ちながら、『1Q84』を書いたのだと思う。しかし、現代の危機を描くにしては、そこに込められたメッセージは、既に射程を大きくはずしているのではないか。
1984年という年は、日本社会の豊かさと安定ということが、頂点を極めようとする寸前にあった。そして、1995年という年は、新自由主義的施策が起動し、日本社会の豊かさや安定が揺らぎ始める年だ。経団連は、この年『新時代の「日本的経営」』を発表し、労働力の節約と流動化、つまりは、リストラ可能な低コストの労働力として派遣労働に、企業の側から熱視線が送られるようになる。
その意味で、1995年という年は、新自由主義による社会改造で「格差社会・貧困社会」のとばぐちに、日本全体が立たされていた、そんな年でもあったのだ。


■次回・本のオフ会

日時 7月31日(土)がダメなとき 8月2日(月)

テーマ 『むらぎも』(中野重治 講談社文芸文庫)
 

むらぎも (講談社文芸文庫)むらぎも (講談社文芸文庫)
(1989/05/05)
中野 重治

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