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『吉本隆明1968』(鹿島茂・平凡社新書) 痛い!

2009.07.15(Wed)

『政治・社会・経済』 Comment(0)Trackback(0)
吉本隆明1968 (平凡社新書 459)吉本隆明1968 (平凡社新書 459)
(2009/05/16)
鹿島 茂

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■当然のことながら、私たち学園紛争の世代では、吉本隆明はスターだった。しかし、私自身は、何となく難解なイメージから、吉本の本は読んでこなかった。今回、鹿島茂さんによる入門本ということで、遅ればせながら吉本思想入門。
鹿島さんによると吉本の神髄は、主著である『共同幻想論』や『言語にとって美とは何か』よりも、それ以前の著作、『擬制の終焉』や『叙情の論理』、そして『自立の思想的拠点』などにあるという。
というのも、それらの著作はポレミックな著作であるため、「何を守ろうとし、何を断罪しようとしたか」が、はっきりあらわれているからだ、という。


■そして思ったのは、結局のところ吉本隆明という人の真価は、60年代から70年代という政治の季節の中で、独自の反スターリニズムの論陣を張り、ややもすると、現実離れした言語遊戯に淫しがちな、左翼諸党派に切れ味鋭い批判を浴びせたこと、そして、その中で「自立」の思想を確立していったことに、つきるのではないだろうか。それもごく健全な下町の庶民感覚から。この庶民感覚というのが、結構ミソで、マルクスの解釈比べや、左翼の教条からはフリーなため、逆に説得力のあるラディカルな批判を展開できたのだと思う。とは言え、そのようなスタンスに立ちきるためには、自身の思考・思想を練り上げるための苦闘があったことは言うまでもないだろう。
今では、社会主義陣営は既に崩壊し、かっての社会主義国家が、労働者のための国家を標榜しながら、実際には、ファッショ的な監視社会となり、一部党官僚による独裁国家に他ならなかったことは、周知の事実になっている。
従って、現在から見ると、左翼スターリニズムの批判など既に常識化していて、ことさら目新しいことなどなにもない。しかし、60年代から70年代にかけての政治の季節の中では、まだまだ社会主義幻想は根強く、マルクスの権威は絶大だった。
そんな中での、吉本の批判は大きなインパクトを、運動側に投げかけたのだと思う。


■大体、「反帝国主義・反スターリニズム」をかかげる新左翼諸党派自身、そのスローガンとは裏腹に、自らの政治方針を教条化しつつ純化し、政治理念の違う他党派と内ゲバをくり返す始末。そこには、柔軟性のかけらもなく、鬱屈して硬直した精神論が幅をきかすという、戦前のウルトラ・ナショナリズムとうりふたつのメンタリティのみが際だっていた。吉本の反スターリニズム思想が、新左翼流の「反スターリニズム」とは一線を画し、説得力があり、かつラディカルなものになり得たのは、自分の中に「健全な社会常識を備えたクマ公、ハチ公を飼って置いて」、その常識に照らして論争をぶった切ったからだ、と鹿島さんは述べている。


■ただし、ものすごく気になる箇所がある。観てはいけないものを観てしまったような、実に後味の悪い感じ。これを読んで、この本に対する興味は、ほぼ萎えてしまった。(勿論、最後まで読みましたがね)実に痛い、こんな一節。


「左翼政党やその同伴者であるマスコミが「腐敗堕落している金権ブルジョア」をどやしつけるため に使うレファランス(参照イメージ)は、いつの時代でも「額に汗して働きながら、永遠に報いられることのない労働者」、いまふうに言えば「ワーキングプアー」の人たちです。なにゆえにこのワーキングプアーのイメージがレファランスとして使われているかと言えば、そこには「清廉潔白」「謹厳実直」「無欲恬淡」など、自らを清く正しい人間と思いたがる左翼マスコミが援用するのに便利なるプラスイメージが全部そろっているからです。」

 
「つまり、ワーキングプアーはあくまで自分たちが(左翼マスコミ)逃げ込むための隠れ蓑にすぎないのです。」


全く意味不明な「ワーキングプアー」という言語に対する憎悪が、突如展開されだしてびっくりしてしまった。えーっ、なんなのこれ!という感じ。
というか、「左翼マスコミ」なるものが、「ワーキングプアー」という語を使うことに対する、鹿島氏の神経質なまでの嫌悪感はなんなのでしょう。「右翼マスコミ」が使う場合はOKなのか?しかし、右系雑誌が「ワーキングプアー」とか「格差問題」とか、その手の特集を組んだものなど見かけたこともないし。そもそも「左翼マスコミ」ってなに?きっと「朝日」や「毎日」あたりのことなんだろう。
それにしても、「毎日」は別にして、「朝日」の場合、経済政策的には、あの「ワーキングプアー」を量産したとされる、新自由主義的構造改革路線に近いのではないかという指摘が、リベラルなブログ論壇ではなされている。


大体、「左翼マスコミ」なんていう、もろ右翼論壇の業界用語が鹿島さんの口から出てくるとは、私の認識不足でした。鹿島さんてその筋の人だったのか?
で、その左翼マスコミが「ワーキングプアー」の記事を掲載するのは、ひたすら「腐敗堕落している金権ブルジョアをどやしつける」ため、だそうだ。つまり、「金権ブルジョア」に対する言いがかりのネタとして捏造された、あるいはでっち上げられた概念であると。
普通、「ワーキングプアー」と聞いて、私たちの「大阪的庶民感覚」だと、「可哀想になあ、なんかええ手だてはないのかいな」とこうなるわけで、これこそ由緒正しい「クマ公・ハチ公的感覚」だと思う。
そこのところは飛ばして、「ちぇっ、また左翼マスコミが、金権ブルジョアをどやしつけてやがる」などと考えるのは、ある意味、政治的に目覚めたインテリで、多分「大衆の原像」から最も遠いエリートもしくは、勝ち組による上から目線ではないのか。
吉本の反スターリニズムの思想は、左翼スターリニズムと同時に右翼的ナショナリズムの硬直性にも、向けられていたのではなかったか。鹿島氏は、あまりにも、左翼スターリニズムを嫌悪し過ぎて、「大衆の社会常識」という定点を通り越して、右端までなだれこんで行ってしまったのではないか?


ところで、鹿島氏と同世代のもう一人の「吉本主義者」・渋谷陽一氏は、『SIGHT』というリベラルな政治雑誌を立ち上げ、「格差問題」などにも切り込んでいる。これなどは、鹿島式思考からすると、典型的な「左翼マスコミ」になるのでは?もっと言うなら、渋谷氏も「左翼政党の同伴者」で「自分たちが逃げ込む最後の隠れ蓑」として、『SIGHT』なんていう雑誌を刊行しているということになりはしないか?


「左翼マスコミ」批判をやるなら、なにも「ワーキングプアー」を、それこそ「レファランス」として使うこともなかったろうに。一体、鹿島氏は、「ワーキングプアー」の存在をどうとらえているのだろう?多分、冷たい「自己責任」論あたりで、「腐敗堕落した貧乏弱者をどやしつける」ための論陣でも張るのだろう。もしくはもっとクールに、統計的に見て、ほとんど社会的な問題になるようなレベルではない、とか。


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