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『先生とわたし』(四方田犬彦・新潮社)

2009.06.26(Fri)

『日本文学』 Comment(0)Trackback(0)
先生とわたし先生とわたし
(2007/06)
四方田 犬彦

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■四方田本の読書、第二弾。
帯に、「幸福だった師弟関係はなぜ悲劇に終わったのか?」という、気になるコピー。著者自身、この「なぜ」に対する答えを求めて、本書を書いたのは明らかだ。この「悲劇」ときちんと向き合い、いかに咀嚼するかということは、著者にとって、長年にわたる大きな宿題であったと思う。そのことが、「なぜ」への迫り方に緊迫感を与え、これが、ぐいぐい本の世界へと引き込むエンジンになって、一気に読まされてしまった。
もう一つ、本書の魅力をあげるとすると、師である由良君美という人が、当時の先端の人文系知識人で、その脱領域的(なんと、この「脱領域」という言葉を最初に翻訳したのも由良君美らしい)な知的好奇心の有り様や、人的ネットワークが、今から見ても十分魅力的であるということ。それが、この本の面白さに、さらなる深みをもたらしているように思う。


■由良君美という人は、私のように専門の素養のないものには、分かりづらいところがあるのだが、基本的には、イギリス・ロマン派の詩人たち特にコールリッジが専門ということらしい。しかし、そこにとどまらず英語圏の批評理論や、文化人類学や精神分析にまでその触手を伸ばし、幅広い射程で文学を論じた。そして、70年代あたりから、英文学にとどまらず人文科学全般に向かって、全方位的に論じるようになっていった。例えば、こんな風に。


◇ポランスキーのフィルムにおけるシェークスピア解釈
◇江戸の異端画家曾我瀟白におけるマニエリスム
◇大正時代の混血作家大泉黒石の越境性
◇つげ義春の漫画にバシュラールの想像力理論を適用して論ずる
◇ノヴァーリス全集の編纂
◇イギリスの幻想絵画をジョン・マーチンからフューズまで辿って、ゴシック・ロマンスとの同時代性を強調


こう見ると、もはや、英文学者という肩書きすら、定かではなくなっているかのようだ。ともあれ、こうした仕事によって、「イギリス幻想文学研究のs第一人者としての彼の評判を決定的なものにした。私が学生だった1970年代を通して、その名前は独文の種村季弘、仏文の澁澤龍彦に匹敵する英文学の雄として通用していた。」という。


■このような表舞台での活躍とは別に、見えない部分での様々な人との交流や、ユニークな出版社との深い関係が紹介されていて、これが面白い。
由良君美は、小さな頃からの本好きで、それが中学入学のあたりから、古本屋巡りという楽しみを見出し没入する。長じては、イギリス・ゴシックロマンの稀覯本の有数のコレクターとなる。そんななか、戦時中、都崎友雄と出会う。都崎友雄は、神田で高松堂という古書店を開き、戦後の古書業界の重鎮となった人物。その、もう一つの顔が、おかっぱ頭のダダイスト詩人として知られるドン・ザッキーその人であった。彼が1920年代に主宰していた『世界詩人』という詩誌は、後に由良君美少年を魅了することになる。尊敬する詩人が、古本屋のおやじとして目の前に現れたのだから、由良少年の驚きは想像してあまりある。そして、かっての華々しい芸術活動や、アナーキズム哲学、翻訳、造本の話など、学校外での刺激に満ちた「講義」を受けることになる。
都崎の影響がどれほど大きかったかは、敗戦直後の1946年に君美が、ホノル・アルシーホというドン・ザッキーばりのスペイン風筆名で、私家版の詩集を残していることからも推測できる、という。


■さらに、岩波文庫のサッカレー訳に惹かれて、平井呈一を訪れたのもこの頃である。平井は「和菓子屋を営みながら、アカデミズムとは無縁にイギリスの怪奇小説をコツコツと翻訳することに無上の喜びを感じている人物だった」という。ここでは触れられていないが、永井荷風の弟子として、偏奇館に出入りしていたとき、荷風の色紙や手稿を偽造して売りさばき、師の逆鱗にふれるという、文学史的ゴシップでも名を知られている。「Wikipedia」を見てみると、荒俣宏や紀田順一郎と並んで、由良君美の名も弟子として挙げられている。ちなみに、荒俣宏は三回も破門されたとある。(荷風に破門された平井に三回も破門されるとは!)ともあれ、由良君美は、「生涯を通じてこの職人気質の翻訳家に敬意を忘れず、1970年中頃に牧神社が設立されると、ド・クインシー著作集を一緒に翻訳しようと声をかけた」という。
こういう、在野のすぐれた研究者や文学者との交流があったからこそ、旧弊なアカデミズムに対して、容赦のない批判を投げかけることが出来たのかも知れない。


■さて、もう一人面白い人物との関係が紹介されている。久保覚という、「せりか書房」を立ち上げた編集者である。この本では、「天才的な編集者」とまで表現されている。1937年在日朝鮮人として生まれた久保は、猛烈な読書家で、花田清輝に私淑していた。編集者のキャリアを現代思潮社から出発させたのち、1967年に二人の協力者とともに「せりか書房」を立ち上げると、自身が編集長の座に就く。彼は、「せりか書房」を単に良書を出版するだけではなく、一つの文化運動を組織する場と考えていた。1968年、まず「現象学研究会」を組織する。これには、木田元、長谷川宏、田島節夫、前田耕作、丸山静、山口昌男、粉川哲夫などが参加する。次にそれを母体として、戸井田道造、宇波彰らを加えた「はじまりの会」を発足させる。さらに、1971年には新たに「現代批評の会」を組織する。これには、川端香男里、水野忠夫、千野栄一、岸田秀、津村喬といったメンバーが加わる。久保は、ここで話題となった洋書を翻訳刊行したり、当時まだ若かった、参加者たちの最初の論文集を刊行したりした。
由良君美が、会員として参加したのは、「現代批評の会」からで、大半が1930年代前半の生まれが多いメンバーの中にあって、由良だけがそれよりわずかに年長の1920年代後半の生まれだった。で、この研究会の様子だが、福島紀幸の印象として、次のようにのべられている。


◇新刊書から映画まであらゆることについて一番よくしゃべるのが山口昌男
◇優しく物腰の柔らかな人という雰囲気を与えるのが宇波彰
◇集まっていたのは、大変なインテリばかりであったが、とりわけ由良君美は飛び抜けての大インテリといった風格があった。尋ねればいくらでも新着の洋書の話が出たが、自分から口火を切るという風ではなかった。


■この本は、こういう臨場感あふれる描写がそこかしこに出てくる。それも、貴重であるにもかかわらず、時の流れの中に埋没してしまったようなシーン。その場の、雰囲気や空気の一端ではあるにせよ、再現されていて引き込まれる。
由良君美が、英文学という枠を出て、人文学一般に対して批評を展開するようになった影には、久保覚と「せりか書房」の存在があった、という。さらにいうなら、著者自身も含め、1974年に東大宗教学科に進学した学生数が飛躍的に増えたのも、植島啓司や中沢新一といった新世代の宗教学者への影響といった点でも、「せりか書房」の影響は見過ごされてはならない、という。もう一つ、「オカルティズムや神秘主義に強い関心を寄せた出版活動」を行っていた「牧神社」という版元。この出版社には、由良は参謀格という形で拘わっていた。
この二つの出版社と拘わっていた時代、由良君美にとって最も稔り多く、幸多い時代であったようだ。


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