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『市民科学者として生きる』 (高木仁三郎・岩波新書)

2011.05.23(Mon)

『政治・社会・経済』 Comment(0)Trackback(0)

市民科学者として生きる (岩波新書)市民科学者として生きる (岩波新書)
(1999/09/20)
高木 仁三郎

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■久しぶりの更新になってしまった。原発のことが気になって、twitterの方にはまり込んでいた。原発が危ないという意識は、ずっと持っていたものの、今回の事故が起こるまで意識の隅っこの方に追いやられていた、というのが正直なところ。ところが、チェルノブイリ級の事故が、現実に起こってしまって、すっかり危機意識に目覚めてしまった。
そんなこんなで、原発の問題もじっくり勉強したいと思うようになって、手に取ったのがこの本。反原発系の研究者・市民運動家として、日本の反原発運動に大きな足跡を残された、高木仁三郎さんの自伝。


■高木さんは、1938年生まれ、残念ながら2000年に亡くなられた。1997年、環境・平和・人権の分野でもう一つのノーベル賞といわれる、ライト・ライブリフッド賞を受賞。この本は、死の前年1999年、病床で綴られた遺作でもある。高木さんは、日本の原子力産業の立ち上がりから、モンスターのような巨大産業に成長する推移を、研究者として、そして市民活動家として見つめてきた人だ。従って、彼の自伝は、日本の原子力産業とその合わせ鏡ともいえる反対運動の歴史をそのまま体現したものになっている。


■読んで気づいたのだが、日本の反原発運動というのは、全国的に見ると現在までのところ大きく三つの波があったのではないか、ということ。つまり、三回の大きな盛り上がりがあったと。もちろん、地域における地道な活動や、原発事故を巡っての抗議や批判など、時として話題になることはあったにしても、メディアが大きく取り上げ、国民的な関心事になったということになると、その数はぐっと減って三回くらいではなかろうか、と。


■その第一波が、1970年以降、大阪万博や石油パニックを経て、ブームとも言えるような建設ラッシュに対する、住民の反対運動の盛り上がりである。既に、敦賀や福島の原発は稼働し始め、それに続く女川(宮城)、柏崎(新潟)、熊野(三重)、浜坂(兵庫)、伊方(愛媛)、川内(鹿児島)などの住民たちが活発に活動を開始した頃だ。
それに呼応する形で、反対派の研究者たちも動き始め、横の連携を模索し始めていた。「原子力資料情報室」は、そのような背景の中で、研究者たちの資料室として、また、議論や交流の場として1975年に生まれた。
高木さんは、「原子力資料情報室」の立ち上がりから、専従として(当初は無給として)働き始めることになる。つまり、「原子力資料情報室」は、最初の反原発運動の高揚のなかから生まれたといっても過言ではないだろう。


■日本の反原発運動にとって、二度目の大波は、一九八六年のチェルノブイリ原発の事故後にやってくる。
チェルノブイリ事故の後、世界各国で反原発運動が盛り上がる。イタリアなどでは、国民投票で原発が全廃になるまでに至った。日本では、その波は遅れてやってきて、一九八八年二月の伊方原発の出力調整反対運動がそのきっかけとなった。これは、全国的に大きな運動のうねりとなり、「原発とめよう一万人行動」と称して、東京日比谷で行われることになった。実際には、二万人以上の人が集まり日比谷公園を埋め尽くした。
このときのことを高木さんはこう述べている。


◇「組織動員などまったくない自主参加の市民の集まりとしては、数の上でも画期的なものだったが、数よりも、音楽や踊り、さまざまな衣装や創意などもちよって集まった人々の多様性と華やいだ雰囲気において、従来の集会のイメージを塗りかえるものとなった。集会後に行われた呉服橋までのデモの列も、いつ果てるともない感じで、正直なところ私自身もある種の夢をみているような陶酔を感じた」


この集会の様子は、youtube(http://www.youtube.com/watch?v=jVWOC0GMDyg)で見ることができる。確かに、それまでのデモにはない多様性と祝祭性は、今回、話題を集めた高円寺や渋谷のサウンド・デモの源流ともいえそうだ。


■もう一つ、三度目が、私のように余り積極的に運動に関わってこなかったものにも忘れられない光景。1992年の「あかつき丸」による、フランスから日本へのプルトニウム輸送である。これは、日本から送られた使用済み核燃料をフランスのラアーグ再処理工場で、MOX燃料の形に再処理されたものを専用船「あかつき丸」を仕立てて、東海村まで運ぶという前代未聞の危険な大航海だった。いつ、どういう航路で、どんな船で、どんな警護をつけて、どんな防災態勢をとって等、いっさいが霧の中であった。その官僚的秘密主義の壁を反対派の国際連携によって、白日のもとに曝したのであった。その中心となって各国の反核環境団体間のコーディネーター役を果たしたのが高木さんだった。結果として、環境保護団体・グリーンピースの追跡によって、「あかつき丸」のルートは、次々と明るみに出され、領海立ち入りの拒否を表明する国が次々と出てきて、予定の日程から大幅に遅れて東海村へと運ばれることになる。この間、メディアなどでも大きく取り上げられ、あかつき丸の航海中のルート・現在位置が逐一報道された。しかも、これにはおまけがついていて、運ばれるプルトニウムの組成が、日本の使用済み核燃料の組成とは違うということがわかったのである。これは、フランスの軍用プルトニウムが混在しているのではないかという疑惑にまで発展した。


■そのような大きな運動の他に、面白いエピソードも紹介されていて興味をそそられた。「朝生」などのテレビ番組で知られる田原総一郎を巡るものだ。
原子力資料情報室をはじめて間もなく、田原総一郎(当時・東京12チャンネル・ディレクター)が、内部告発の手紙を携え、高木さんの元を訪れた。その手紙には、一九七三年初めに、関西電力美浜一号炉で大規模な燃料棒折損事故があった。それを関西電力と三菱重工は、まったく秘密裏に処理していた、というのである。田原はこの問題を、出版予定であった『原子力戦争』という単行本に特別報告の形で取り上げようとしていた。そして、その告発の信憑性について、高木さんの意見を聞きに来たのであった。
高木さんは、事故当時の不自然な燃料交換のパターンや、一号炉の排水による海草の汚染状況などから、事故の隠蔽を確信し田原に伝える。田原は、同年七月に出版された『原子力戦争』(筑摩書房)の末尾に、この告発に基づいた推理のレポートを書いた。
今、田原総一郎は、かってのような反体制ジャーナリストの面影はすっかり影を潜め、むしろ立場としては、原発推進に近いスタンスに立っているように思われる。その田原のかっての勇姿を彷彿とされるエピソードだ。そういえば、高木さんは、田原の「朝まで生テレビ」の原発特集にも何度か出ていて、生前の映像を観ることができる。(1988年10月の「朝生・原発特集」、http://www.youtube.com/watch?v=yEwmEFmSi9I)


■高木さんは、このように日本の反原発の運動史の中でも、エポックメーキングな三つの大イヴェントにおいて、中心的な役割を果たしてこられた。これ以外にも、住民運動の相談役として、市民の科学者を育てるための「高木学校」の創設、メディアにおける批判派の論客としての役割なども果たしてこられた。
最後の著作となったこの本では、原子力発電とそれを産んだ社会についてこんな風に語っている。


◇「原発は、言うまでもなく技術的には核兵器と切っても切れない関係にある。核兵器保有をめざす大国が、経済的にはまったく見通しのない状況で、潜在的な危険性も大きいこの産業へと国家主義的に大量投資をして取り組んだのは、もちろん、核兵器開発に乗り遅れたくないという思惑があったからである。原子力問題には、常にそういう国際政治的力学が背景にあり、国家機密の技術である故の機密性、閉鎖性もつきまとった。」


◇「風力とかバイオマスとか太陽電池などの地域分散型のテクノロジーを軽視し、ほとんどの政府がまず原子力にとびついた(その段階での商業化の可能性の不確かさは、前述の分散型ないし再生型のエネルギーが現在もつ不確かさより、はるかに大きかった)のは、この中央集権性ないし支配力にあったと思う。その底流には、巨大テクノロジーと民主主義はどこまで相容れるかという、現代の普遍的な問題が関係している。」


■福島の事故を受けて、自民党の安全保障の論客・石破茂や、右寄りの評論家と思われる青山繁治のような人まで、原発政策の見直しを語るようになってきている。福島原発事故という巨大な原発震災を受け、やっと、この国の原発と核兵器を巡る闇が消えていくような予感を覚える。大きな代償を払っての小さな一歩という感じがしないでもない。しかし、この歩みを停めてはならないのはもちろん、この国が、原発依存から地域分散型の自然エネルギーへという歴史的な転換点にあるように思う。そのことは、エネルギーの転換を意味するだけではなく、巨大テクノロジーが持つ中央集権的官僚主義を打破し、地域を主体とした新たな民主主義への移行を促という、社会システムや政治体制の大きな変更をも生み出すということに他ならない。




○「本のオフ会」お知らせ○

すみません、ブログが途切れていて、次回「本のオフ会」は、以下の日程で。

・日時 5月21日(土) PM6:30~ gatemouth cafeにて

・テクスト 『蔭の棲みか』(玄月・文春文庫)

◇堅苦しい会ではありません、テクストを話題に、一杯飲みながらゆるく語る会です。お気軽にご参加を。




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吹田の関大前で、「ゲートマウス」という小さなカフェを営業しています。
「ゲートマウス」は、「本が楽しめる、ミュージック・カフェ」、もしくは「音楽が楽しめる、ブックカフェ」といったイメージの店です。勿論、フードやドリンクも充実。是非お気軽にお立ち寄りください。日曜、祭日は休業。

吹田市千里山東1-11-16
TEL 06-6387-4690
MAIL gatemouth8@gmail.com

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