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新・批評の事情(永江朗 ちくま文庫)

2010.07.17(Sat)

『政治・社会・経済』 Comment(0)Trackback(0)

新・批評の事情 不良のための論壇案内 (ちくま文庫)新・批評の事情 不良のための論壇案内 (ちくま文庫)
(2010/06/09)
永江 朗

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■2001年に刊行された『批評の事情』の続編。前編の『批評の事情』も持っているのだが、未読のままだった。今回の『新・批評の事情』が面白かったし、こちらも是非とも読まなくては。
これ、一読して驚くのは、批評と一口に言ってもその間口がとんでもなく広いこと。普通、批評家なんていうと、吉本隆明や江藤淳、柄谷行人、あるいは大塚英志や東浩紀など、文芸批評系もしくは社会批評系で、しかも思いっきりアカデミックよりの知識人達を思い浮かべてしまう。
ところがこの本では、例えばファッション、それもワイドショーなどにちょこちょこ顔を出す、いかにも怪しげな「ドン・小西」とか、写真家でカメラの批評もする「赤城耕一」、クルマ関係の「福野礼一郎」、温泉批評なんていうのもあって、こちらは「松田忠徳」、さらにグルメ系で「犬飼祐美子」なんていう人たちが登場する。初めて知った人たちだ。なかには、「乙女カルチャー」や「萌え」評論家なんていうのも押さえられている。それにしても、このフィールドの広さというか多様性には驚かされる。
そんな中で、社会をトータルに批評するなんていうことになると、


「二一世紀の批評家は、あらゆる情報に通じていなければならない。マンガも洋服のブランドも知らなきゃいけない。もちろん、固有名詞を知っているだけでなく、その社会的意味についても批評的に把握していなければならない」


てな具合で、大変も大変、半端ない情報と知識の量が要求されるようだ。考えてみると、ネットの普及で素人でも簡単に、そこそこの情報ならすぐアクセス出来るわけだから、金を取って情報を提供するプロであるなら、この時代、要求されるもののハードルも高くなるはずではある。


■とまあ、批評の世界の多様性にまず眼を奪われたわけだが、この本は、何といっても永江朗という人の魅力に負うところが大きい。というか、とりあえず私ととても波長が合う。なんといっても、サヨクなのが嬉しい。勿論、社会主義者だとか共産主義者だとかいう意味ではなく、立ち位置が相対的に左というか普通にリベラルなだけなのだが。今回、参院選で民主党は、オウンゴール的にどか負けして、期待を裏切ったわけだが、それでも小泉以降の自公政権の暗黒時代とは比ぶべくもない。
そんなことを思い起こさせてくれただけでも、この本を読む価値は十分にあった。
この『新・批評の事情』を読むと、民主党政権が誕生した頃、世論はどのような方向を向いていたのか思い起こされる。(その風向きも、ここへきてまたちょっと変わりつつあるが。)
社会批評の分野で、ゼロ年代に突出して露出度が高く活躍もしたのは、姜尚中と内田樹だろう。80年代のポストモダン思想以降、ある意味、思考停止というか武装解除したリベラル派がここへ来て、ポストモダンのシニシズムを乗り越えて、真っ当な情報発信をはじめたようにも思える。この二人の活躍は、日本の右傾化傾向に大いに歯止めをかけてくれたように思う。さらに、ブッシュの戦争をリアリストとして、丁寧にその根拠を崩しつつ、批判していった藤原帰一の役割も大きかったと思う。藤原帰一と姜尚中は、最近、田原総一朗が司会だった、『サンデープロジェクト』の後継番組『サンデーフロントライン』のレギュラー・コメンテーター役を務めている。(それにしても、田原の新自由主義好きというか竹中好きは目にあまる。新自由主義を信望する政治家が後を絶たないのは、田原のような騒々しいだけの応援団がメディアで幅をきかせているのも一因だろう。)


■もう一つ、反貧困や格差の問題を大きくクローズアップさせた、湯浅誠や雨宮処凛などの反貧困系活動家たち。貧困や格差の問題を可視化させた功績は大きい。ただここへ来て、参院選での新自由主義勢力の躍進という歴史的な反動のせいで、この問題がまたしても自己責任の論理にすり替えられ、隅っこに追いやられる可能性はある。

とまあ、ここまでが前ふりで、今回の『新・批評の事情』で一番驚いたのは、経済学関係の批評家というか学者が紹介されていることだ。昨今の経済学関係のアナリスト達のメディアへの露出度を考えれば、当然といえば当然なのだが、こういう軽い人文よりというかサブカルよりの本で、経済学関係の人々が紹介されことに軽いショックを覚えた。
で、問題はその人選である。永江さんは、さっきも触れたように私と同じリベラル系の人である。そのような立場の人が、どのような学派の人たちを紹介するのか、勿論、新自由主義というか、新古典派の人ではあるまい。
で、ここで採り上げられているのは、「野口旭とリフレ派の人々」である。勿論、野口旭というのはリフレ派で、彼以外に岩田規久男、森永卓郎、竹森俊平、岩井克人、伊藤元重といった人々がいる。リフレ派はこの十年でもっとも注目された経済学者達らしい。何を言っているかというと、「まずはデフレを止めよ」と。で、学説的には「ケインズ派と新古典派のハイブリッドというかいいとこどり」という。
デフレを止める方法として、「インフレターゲット」という方法をとるよう主張する。「インフレになりますよ」というアナウンス効果で、人々が消費行動に向かい、需給ギャップが埋まるというものだ。まあ、難しい経済理論の方は置いておくとして、リフレ派の本はとにかく面白いというのだ。


「野口をはじめ、リフレ派の本には麻薬的なところがある。読んでいて面白いのだ。論争的かつ啓蒙的でなおかつ基本理論に忠実であろうとするため、劇的興奮と知的興奮の両方が味わえてしまう。」


そう言えば、前作の『批評の事情』には、山形浩生が紹介されていて、リフレ派のノーベル経済学賞受賞者クルーグマン(山形はクルーグマンの翻訳者)のことがこんな風に紹介されていた。


「というか、クルーグマンは自分の本の読者層を、ラブロックやデリダやマーティン・ガードナーを読んでいる人々だと当然のごとく想定している。しかもそういう人々はクルーグマンにとっては、べつにとんでもなく頭のいいエリートってわけじゃない。」


経済学者というと、現代社会のエグゼクティブというか俗物っぽい感じがして、デリダやラブロックを読むような人種とは違うと思っていたのだが。でも考えてみると、かって飯田素之というリフレ派のバリバリ元気な若い学者の『反貧困の経済学』というのを読んだことがあるが、確かに面白かった。「論争的かつ啓蒙的」だったし、「劇的興奮と知的興奮」の両方を味わえたようにも思った。
お先真っ暗な感じの日本、これだけ、経済学がもてはやされありとあらゆる処方が叫ばれるのだが、一向に出口は見えてこない。ここまでくると、資本主義って本当のところどうなのよ、という懐疑の念も押さえがたい。もう一度、経済学を含む社会科学を学んでみたい気がする。とりあえず、リフレ派の本くらいから。





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