スポンサーサイト

--.--.--(--)

『スポンサー広告』 Comment-Trackback-
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

pagetop ↑

『コレクションズ』(ジョナサン・フランゼン 黒原敏行訳 ハヤカワepi文庫)

2013.04.07(Sun)

『海外文学』 Comment(0)Trackback(0)

コレクションズ (上) (ハヤカワepi文庫)コレクションズ (上) (ハヤカワepi文庫)
(2011/08/10)
ジョナサン フランゼン、Jonathan Franzen 他

商品詳細を見る



コレクションズ (下) (ハヤカワepi文庫)コレクションズ (下) (ハヤカワepi文庫)
(2011/08/10)
ジョナサン フランゼン、Jonathan Franzen 他

商品詳細を見る


■ジョナサン・フランゼンというアメリカ人作家のことを最近知った。『フリーダム』(早川書房』)という最新作が話題になっているが、アメリカでは既に大御所の一人みたいで、今回読んだ『コレクションズ』は、2001年に刊行され全米図書賞を受賞、280万部以上を売り上げたという。
 さらに、新作『フリーダム』がアメリカで刊行された2010年、『TIME』誌の表紙を飾っている。過去に、サリンジャー、ナボコフ、トニ・モリソン、ジョージ・オーウェル、ジョン・アップダイクと言った錚々たる作家たちが表紙を飾った。現役作家としては、スティーブン・キング以来、十年ぶりというのだから驚きである。多分、ポール・オースターもジョン・アーヴィングもドン・デリーロも、未だその栄誉に浴していないであろう、というのに。帯に「アメリカの国民作家」などというコピーが踊っているが、それも納得というほかない。
 しかし、その割に日本で知られてないのはなぜ?という疑問が当然ながら湧いてくるのだが、多分、それは恐ろしいくらいの寡作ぶりにあるのではないだろうか。ほぼ十年に一作というペース、日本で翻訳されているのは、『コレクションズ』と新作の『フリーダム』の二作のみということなので、意外に知られていない大物作家というスタンスも致し方なしというところか。

■今回読んだ『コレクションズ』は、十年に一作という時間の重みがずっしりと感じられる作品だ。文庫で上下二冊900ページを超す大作ということもあるが、エピソードの練り上げ、細部の精緻な描写、シニカルな独白など、どこを切り取っても面白い。
 内容は、アメリカ中西部のセント・ジュードという架空の町に住むランバート夫妻とその子供たち三人の物語である。家族の物語と言っても心温まるのどかな物語などでは、もちろんない。シリアスかつコミカル、さらにシニカルでもある。
 家族が暮らしたアメリカ中西部という地域は、アメリカでももっとも保守的な地域として知られている。その保守的な地域にぴったり溶け込んだかのような、頑固な父親・アルフレッドと世間体を気にする母親・イーニッド。三人の子供たちは、心のどこかに両親や故郷に対し鬱屈した思いを抱えながら成長した。長男のブライアンは、フィラデルフィアの銀行の部長を勤めているが、拝金主義で妻や子供たちとの不和に悩まされている。次男のチップは、大学で先鋭的な文学理論を教えていたのだが、教え子の女子学生とトラブルを起こし、大学を追われる。末娘のデニースは、新進気鋭の料理人として注目を集めるが、これも雇い主とのトラブルで有名レストランの職を失う。
 子供たちそれぞれの波乱のストーリーが、大きな読みどころだが、同時に、父親のアルフレッドも徐々に痴呆が進行し、母イーニッドの負担が増えていく。両親の危機的状況と、子供たちの親に対する屈折した思い。複雑に絡まり、錯綜する様々な思惑のあいだで、どう折り合いをつけるのか、どのような<コレクションズ=修正>局面が生み出されるのか、というのがおおまかなストーリー。

■フランゼンは、ぎしぎしと音を立てて軋み合う価値観の衝突や、それぞれが内に秘めた、わがままで身勝手、病的な思い込みを、なんの脚色もせずあるがまま表出させる。取り繕った態度の奥底にあるエゴイスティックな澱を、鷲掴みにして読者の前に放り投げる。
例えば、長男ゲイリーのこんな独白。

◇「ゲイリーは、もう沿岸部への移住は法律で禁止して、中西部人には田舎くさい食べ物を食べ、野暮ったい服を着、盤上ゲームで遊ぶ古い生活に戻るよう奨励してもらいたいと思う。そうすれば、この国でも数多くの田舎者が温存され、洗練された趣味を知らない荒蕪地が残って、彼のような特権階級の人間が、自分はすぐれて文明的だという感覚をいつまでも持ちつづけることがー」

◇「ホームセンターの精算所で、ゲイリーはアメリカ中部でもとりわけ肥満したのろまな連中に見える客たちの列についた。マシュマロのサンタや、安ピカ物の飾りや、ベネチアン・ブラインドや、八ドルのドライヤーや、クリスマスにちなんだ図柄の鍋つかみなどを買いにきた連中。代金をぴったり払おうとソーセージみたいな指で財布を掻きまわす連中」

■新自由主義的価値観にどっぷり浸かった長男のゲイリー、リベラルな価値観でオルタナティブなライフスタイルを模索するが、どこか間が抜けていて失敗を繰り返すチップ、その中間に位置するようなデニース。
危機をくぐって家族が着地した地点は、それぞれがほんの少しずつ生き方を「コレクションズ=修正」した、ごく穏当なものだった。
 そこに至る家族の航海を通じ、著者は、90年代末期、「後期資本主義」のただ中にある、アメリカ社会の現実を見事にあぶり出している。








スポンサーサイト

pagetop ↑

快楽としての読書[海外編]  丸谷才一・ちくま文庫

2013.03.12(Tue)

『海外文学』 Comment(0)Trackback(0)

快楽としての読書 海外篇 (ちくま文庫)快楽としての読書 海外篇 (ちくま文庫)
(2012/05/09)
丸谷 才一

商品詳細を見る



■丸谷さんは、書評というものを心から愛し、書評を書き続けた人だった。若い頃からイギリスの書評に親しみ、九〇年代には毎日新聞の書評欄の大改革まで自らの手で断行した。将来、丸谷才一全集が編まれることになれば、きっと書評集だけで何巻かに纏められることになるだろう。実際、丸谷さんのように深い学識と膨大な読書量を持つ人にとっては、書評という仕事は、絶好の自己表現の場であったに違いない。なにより、楽しんで書かれているようだし、それに、文章のイキがいい(大家に向かってこんなことを言うのもなんだが)。
この本では、書評という仕事について次のように述べている。

◇「しかし紹介とか評価とかよりももっと次元の高い機能もある。それは対象である新刊本をきっかけにして見識と趣味を披露し、知性を刺激し、あはよくば生きる力を更新することである」

■書評の機能とは、単に本の紹介や評価にとどまらず、書評者の「趣味」や「見識」を披露し、読者の「知性を刺激」しなければならないと言うのである。これだけでも、かなり難しいハードルだ。さらに続けて。

◇「読者は、究極的にはその批評性の有無によってこの書評者が信用できるかどうかを判断するのだ。この場合一冊の新刊書をひもといて文明の動向を占ひ、一人の著者の資質と力量を判定しながら世界を眺望するといふ、話の構への大きさが要求されるのは当然だらう」

■書評を通じて、「文明の動向を占ひ」かつ「世界を眺望する」のである、と。こうなると、書評を通じての文明批評、あるいは社会批評にまで行き着く。これはもう、私のやっているような素人書評とは次元の違う話である。しかし、この本を読むと、書評に要求されるこれらの無理難題とも思える課題を、きちんと視野に入れられているのがわかる。
掲載されているのは、1970年代から2000年代初頭まで、ざっと40年間にわたる書評集だ。主に「週刊朝日」と「毎日新聞」に掲載されたものが多い。書評というフィールドにおける、丸谷作品のベストなアンソロジーである。

■40年にもわたる長いスパンでの書評集だから、この間の日本における海外文学の評価や受容状況が、最高の書評家の目を通して、ひととおり見渡せる。
マルケスやリョサなどのラテンアメリカ勢、カーヴァーやオースターなどのアメリカ文学。イシグロやバージェス、マキューアンなどのイギリス文学などが押さえられているのは当然だが、他に、歴史書や聖書関連、さらに思想・哲学まで、実に幅広く取り上げられている。

■そんななかで、私がもっとも気になった一冊がある。リチャード・ヒューズという人が書いた『ジャマイカの烈風』。なにしろ、丸谷さんのこの本への絶賛ぶりが凄い。まず、カフカの小説を引き合いに出し、その完成度や後世への影響力からして、「現代の古典」という位置に限りなく近いとしながらも、次のように述べてそれを退ける。

◇「古典がどうしても持ってゐなければならぬ、一種超越的な晴朗さを欠いてゐるのである」

あのカフカでさえ「現代の古典」たる資格には欠ける、というのである。その上で、この『ジャマイカの烈風』をこう評している。

◇「『ジャマイの烈風』は「現代の古典」と呼ぶにふさわしい数少ない長編小説の一つである。その完成度の高さは比類がない。その影響は、現代文学史のさまざまの地点に見ることができる(たとえばグレアム・グリーン)。そしてこの作品の透明で悲しい味わひについては、適切な形容の言葉を持たないことをたいていの批評家が嘆くに違いない」

「ヒューズはこの長編小説で、一群の少児たちを極限状況におくことによって、人間の原型としての子供をじつに見事に示してくれる。その際の小説技巧の巧妙さは舌を巻くしかないほどで、卑小な日常性のなかでの壮大な悲劇といふ小説本来の機能は、『ジャマイカの烈風』において模範的に提示されてゐると言ってよからう。」

■と、この書評集の中でも、ここまでの大絶賛はこの作品以外にないのでは、と思わせるほどだ。なにしろ、カフカを退けてまでこの作品を評価しているのである。小説の目利きである丸谷さんにとっても、相当リスクが伴い、それだけに、覚悟と気合いの入った書評にならざるを得なかったのでは、と思わせる。
私は、リチャード・ヒューズの名も、『ジャマイカの烈風』という作品もこの本で初めて知った。
それもそのはずで、一九二九年に書かれたこの作品は、一九七〇年になって初めて日本では翻訳・刊行された。その後、二〇〇三年に晶文社の「必読系!ヤングアダルト」というシリーズに加えられ、再刊されている。が、現在は、品切れ状態で、古本を漁るしかない。私は、アマゾンに出品されていた古本を思わずクリックした。しかし、ヒューズのその他の作品は、全く翻訳されていないようだ。
それにしても、隠れた傑作というのはあるもんだ、とつくづく思う。私にとっては、こういう新たな本との出会いが、書評を読む最大の魅力である。



ジャマイカの烈風 (必読系!ヤングアダルト)ジャマイカの烈風 (必読系!ヤングアダルト)
(2003/09/26)
リチャード・ヒューズ

商品詳細を見る








pagetop ↑

『わたしを離さないで』(カズオ・イシグロ 土屋政雄訳 早川書房)

2011.05.24(Tue)

『海外文学』 Comment(0)Trackback(0)

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)
(2008/08/22)
カズオ・イシグロ

商品詳細を見る



■映画がもうすぐ公開ということで、話題になっているこの作品なのだが、私的には、なんとも違和感ありまくりの一冊。ところが、ネットなどで検索すると絶賛の嵐。アマゾンのレビューを覗いてみると、この本にはなんと130件ものレビューが寄せられている。それもほとんどが、最高評価の星五つ、残りは星四つで、それ以下というのは皆無。私のようにこの作品の良さが分からない、という評価はほとんどなく、ほぼ絶賛という状況。ブログなどでも高評価で、疑問を投げかけるような記事は発見できなかった。


■で、私の違和感というのは、この作品の状況設定がどうにもこうにも受け入れがたい、ということにつきる。この作品は、ヘートシャムという寄宿制の施設が舞台で、臓器提供を運命づけられたクローンの子どもたちがそこで養育されている。穏やかな環境の下、怜悧な保護官が適切な教育を行っている。そこでの子どもたちの交流、諍い、恋愛、セックス等々、クローンとはいえ、ごくごく普通の子どもたちの日常と悩みが淡々と抑えた筆致で綴られていく。そして、成長するにつれて臓器提供という逃れられない現実が、子どもたちに暗い影を落としはじめる。そんな中で育った、主人公を含む三人の若者たちの交流の顛末を描いたものだ。


■実に哀しく切ない物語なのである。そうとしか感じる他ないような状況が、ハナからセッティングされている。このセッティングされた状況がなんとも受け入れがたい。いくらイギリス社会が非情であったとしても「それはないやろ」、という。あまりにも作家に都合のいいシチュエーションではないか?つまり、読者の涙を誘うメロドラマに誘導するにはもってこいの設定。物語の早い段階で、このような過酷な背景は何となく分かる。そうすると、どうも入り込めなくなる。作家の意図がミエミエで。
twitterでこんなことをつぶやいたとき、ある方が反応してくれて、その方は、作家の「あざとさ」を指摘されていた。そう、あまりにもあざとくないですか?なんとか読者を泣かせたいという作家のエゴだけが際立っている、というと言い過ぎか。


■さらにいうと、普通、こんな状況にある子どもたち、若者たちだったら、まず、反抗し荒れるだろう。それが、健全な精神というものだ。こんな状況で、それを受け入れてしまうというのは、どこか病んでいるとしかいいようがない。デモも集会もなく、政治的な異議申しだてとは馴染みのない、日本のような国ならいざ知らず、学費値上げというだけで、チャールズ皇太子の車が破壊されるような、パンク発祥の国である。それこそ、決死の覚悟で暴れるというのが筋でしょ、と言いたい。
カズオ・イシグロは、そんな状況に置かれた子どもたちの反乱をこそ描くべきだろう。もしくは、思いっきり、グロくナンセンス、そして毒のあるユーモアの物語。それを、お約束通りの悲惨な結末が待っている、メロドラマに仕立ててしまうというのは、あまりにも芸がなく、人間や社会に対する洞察の深みにも欠けるんじゃなかろうか。


■最後にネットで見つけた、これを掲載。2ch「豊崎由美とワンダーランド」http://desktop2ch.net/book/1252594199/
豊崎由美さんは、好きな書評家なんだけど、この件に関してはちょっと首をかしげる。むしろ、佐藤亜紀さんの強烈なつっこみのほうに共感。

<わたしを離さないで 豊崎評>
「柴田さんが現時点での最高傑作と言っている。私もそう思う」
「謎解きといったサプライズで読むものじゃない。 悲しみとはどういったものだろう。その深さを描いたもの」
「どこまで感情移入できるか。最大限の成果をあげている」
「恋愛小説としてもたいへん切ない」
「最後、表紙を見ただけで泣けてくる」
「私の上半期のイチオシ」

<わたしを離さないで 佐藤評>
「日本の市場動向を調査して書いたのかと言うくらいのお涙頂戴ぶりが情けなく」
「受け狙いにちょっとホグワーツ入れて (寄宿舎の餓鬼どものちまちました交流、ってみんな好きだよな)」
「社会性を持たせるべくクローン技術と臓器移植の問題入れて(ネタバレ、とか言わないように。
最初の四分の一読んで、ははん、と思わないなら、小説なぞ読むのは時間の無駄だ)」
「こんなものを読んで感動したと言えるのは、悲しいお話を読んで泣くことを感動と平気で混同できるど素人だけである。」
「世界が異様なくらいちまちまと狭苦しく、そのちまちました迷路の中を、作者によって鼠並みの知能しか与えられなかった 登場人物が右往左往して可哀想な目に遭う話でも平気な方にはもちろん大いにお勧め」


【関連エントリー】
- ゲイトマウス・カフェ通信 『アイルランド・ストーリーズ ...
- ゲイトマウス・カフェ通信 『顔のない軍隊』(エベリオ・ロセーロ ...
- ゲイトマウス・カフェ通信 本のオフ会 『停電の夜に』ジュンパ・ラヒリ
- ゲイトマウス・カフェ通信 『メイソン&ディクソン』(トマス ...
- ゲイトマウス・カフェ通信 『アムステルダム』(イアン・マキューアン ...
generated by 関連エントリーリストジェネレータ





pagetop ↑

『顔のない軍隊』(エベリオ・ロセーロ 八重樫克彦・由貴子訳 作品社)

2011.02.24(Thu)

『海外文学』 Comment(0)Trackback(0)

顔のない軍隊顔のない軍隊
(2011/01/25)
エベリオ・ロセーロ

商品詳細を見る


■現在、中東各地に民衆の蜂起が勃発し、独裁政権がドミノ倒しのように崩壊している。独裁者vs民衆という構図は、非常にわかりやすい。打倒すべきターゲットがはっきりしている。しかし、50年以上にわたって混乱が続くという、コロンビアの場合はどうだろう。政府軍、右派民兵、左翼ゲリラ、さらに麻薬密売組織が複雑に絡み合い、血を血で洗う抗争を繰り返してきたという。武装集団同士、ときには同盟を結び、ときには反目して戦闘状態に入ったりと、賽の目のように変わる戦闘状況は、複雑怪奇で分かりづらい。
この作品は、そんなコロンビア特有の政治的混沌と倦むことのない紛争を、戦場となった村人の素朴な目を通して描いた作品だ。さらに、結論めいたことを書いてしまうと、ここでは、中東のような独裁者打倒に向けたエネルギーなど、望むべくもないようだ。きっと、世界にはコロンビアのような国がいくつもあって、出口のない鬱屈のみがマグマのようにたまっていく、そんな国も多いのだろう。それからすると、危険は伴うにしても革命のようなカタルシスを体験できる国は、ある意味、幸せなのかもしれない。



■出だしは、ゆるくエロチック、とぼけたユーモアに包まれて物語は始まる。こんな具合。

「ブラジル人のかみさん、スマートなヘラルディーナが日差しを求めて素っ裸で出てきてさ。テラスに敷いた赤い花柄マットにうつぶせになって日光浴を始める。隣のパンヤの木陰じゃ、ブラジル人のだんなの大きな手が、なかなかの腕前でギターをかき鳴らしていてさ。けだるく穏やかな歌声がコンゴウインコの甘いさえずりと相まって聞こえる。テラスでのひとときはそんなふうに、太陽と音楽に包まれながら過ぎていくんだ。」


■この、ブラジル人のかみさん・ヘラルディーナの裸を隣の庭から盗み見ているのが、作品の語り手にして主人公のイスマエル。当年70歳で、村人たちのほとんどが彼の教え子という元教師。ちょっとエッチで、脳天気な年老いた男の視線によってこの作品は紡がれていく。
実は、この出だしのゆるさが、村への武装組織の進入から転調し、どんどんタイトな空気になっていく。お気楽でちょっとエッチなイスマエルが、暴力に蹂躙された村とともに、じりじりと追い詰められていくのだ。
イスマエルの天然キャラと、村に忍び寄る残忍で不気味な暴力の影がなんとも対照的で、さらに迫力と臨場感をもって迫ってくる。


■軍隊の侵入とともに、愚痴を言い合い長年連れ添ってきた妻が行方不明になる。その妻を探して、村の中をさまよい歩くイスマエル。左膝の痛みを治してくれた骨接ぎ医者で百歳になろうかという、クラウディノ先生は虐殺される。腕のいい外科医で仲の良かったオルドゥス氏も虐殺される。あるものは殺され、あるものは誘拐され、あるものは村を捨てて去って行く。みるみる活気を失い、馴染みの村人たちも姿を消していく。さらに、政府軍が立ち去ると、本格的に武装組織の村への侵入が始まる。それまで、村に居残っていたものも次々と村を捨てて逃げていく。そんななか、イスマエルは、妻のオルティアを待ち続けるために最後の最後まで村に居残る。
しかし、その武装組織が一体どんな組織なのか、最後まで明らかにされない。左翼ゲリラなのか、それとも、右翼民兵組織なのか、はたまた、麻薬密売組織なのか。戦場となった村では、そんな政治地図などあまり関係なさそうだ。


■状況が悪化していく村、疲れ果て混乱していくイスマエル。戦闘というものを当事者から、内側から見るとそこにあるのは、恐怖と混沌である。誰と誰が戦い、戦況がどうなっているのか、そんな客観的な分析とは無縁な場所なのだ。コロンビアのように様々な武装勢力が覇を競っている中では、どんな軍隊であれ民衆に牙をむいてくる可能性がある。解放してくれるような軍隊などありはしない。まさに”暴力装置”としての本質がむきだしになった「顔のない軍隊」のみが存在しているかのようだ。


【関連エントリー】
- ゲイトマウス・カフェ通信 「緑の家」(バルガス・リョサ 新潮文庫)
- ゲイトマウス・カフェ通信 『世界終末戦争』(マリオ・バルガス ...
- ゲイトマウス・カフェ通信 ノーベル文学賞受賞おめでとう!リョサ!
- ゲイトマウス・カフェ通信 『チボの狂宴』(マリオ・バルガス・リョサ ...
- ゲイトマウス・カフェ通信 『フリアとシナリオライター』(バルガス ...
generated by 関連エントリーリストジェネレータ







pagetop ↑

『アイルランド・ストーリーズ』(ウィリアム・トレヴァー 栩木伸明訳 国書刊行会)

2011.02.18(Fri)

『海外文学』 Comment(2)Trackback(0)

アイルランド・ストーリーズアイルランド・ストーリーズ
(2010/08/27)
ウィリアム・トレヴァー

商品詳細を見る



■ウイリアム・トレヴァーの『アイルランド・ストーリーズ』(栩木 伸明・国書刊行会)を読み終えた。「現役世界最高の短編作家」といういかにも大仰な呼称が、誇張でもなんでもなくごくごく当たり前の事実として、素直にストンと胸に落ちる。
1928年生まれで1950年代後半にデビューということだから、80歳をこえて現役、キャリアはすでに50年以上ということになる。日本では、2007年に刊行された『聖母の贈り物』(国書刊行会)以降、ぼちぼちと翻訳が出るようになり、08年に『密会』(新潮社クレスト文庫)、09年に『アフターレイン』(彩流社)、そして10年の『アイルランド・ストーリーズ』と、ここ数年で矢継ぎ早に作品が刊行されている。
こと日本においては、晩年も晩年、最晩年になってやっと小さなスポットがあたりはじめたというところ。実際、作家の村上春樹をはじめ英文学者の若島正さんや、評論家の豊崎由美さんなども大絶賛で、日本においても、これまでの不遇を挽回すべく、ちょっとした翻訳刊行ブームが、しばらく続くのではないだろうか。


■私は、この『アイルランド・ストーリーズ』で初めてこの人の作品に触れることができたわけだが、この素晴らしさは、一体何に由来するのだろう。私など、ただただ圧倒されるばかりなのだが、その凄さを説明しろと言われると、なかなか難しい。説明したとたん、大切なものを取り逃がしたような気がして。まあ、文学作品は押し並べてそうなんだけど、あらすじを述べてもその作品の凄さを説明したことにはならないし。例えば、村上春樹は、こんな風に述べている。


「彼の小説の特徴は、無駄のない的確でみずみずしい描写と、 設定された人物像の揺らぎない精密さ、 ナイフのように鋭くはあるけれど同時に不思議な優しさを含んだ小説的視線にある。」


確かにそうなんだけど、これでトレヴァー作品の良さが伝わるだろうか。的確ではあるんだろうけど、あまりにも抽象的。これで、トレヴァーを読む気になるような人がいるのだろうか。もっと、この人特有の際だった良さがあるように思うのだ。しかし、それって一体何なのか。


■私はトレヴァーは、過酷な運命、酷い人生に抗い、立ち向かうような人物を描くのではなく、むしろそれを静かに受け入れていく、弱い立場の人々を好んで描いているように思う。そして、それはキリスト教というより、仏教の世界観に近いようにも思う。それは、あまりおおっぴらに広がることはいないものの、虐げられてきた人々の隠れた叡智の一つだとも思う。
こんなことを書くと、まるで負け犬ような世界観ととらえられかねないが、むしろ逆で、実は、恐ろしく勇気のいることではないか。困難で見たくもない現実、それと向き合い、逃げずに受け入れていく。こちらの方が、よほど大変なことではないか。
この人の作品の底に潜むある種ひんやりした諦念のようなもの、その覚悟の重さがずっしり読者の胸に響くように思うのだ。同時に、そこにこそリアルで小さな灯りが、ほのかにかいま見えるような気もする。


■納められた12の短編、どれも好きなのだが、とりわけ、年老いた女教師を主人公に、内戦の悲劇がふつふつと迫ってくる「アトラクタ」が鮮烈だった。とにかく、こんな本に巡り会えたことにただただ感謝。ひとつだけ、『アイルランド・ストーリーズ』というタイトルなんだが、なんかもうひとひねりあっても良かったのでは。


【関連エントリー】
- ゲイトマウス・カフェ通信 『顔のない軍隊』
- ゲイトマウス・カフェ通信 『チボの狂宴』
- ゲイトマウス・カフェ通信 ノーベル文学賞受賞おめでとう!リョサ!
- ゲイトマウス・カフェ通信 本のオフ会 『停電の夜に』ジュンパ・ラヒリ
- ゲイトマウス・カフェ通信 201102
generated by 関連エントリーリストジェネレータ











pagetop ↑

▼ プロフィール

gatemouth

Author:gatemouth
吹田の関大前で、「ゲートマウス」という小さなカフェを営業しています。
「ゲートマウス」は、「本が楽しめる、ミュージック・カフェ」、もしくは「音楽が楽しめる、ブックカフェ」といったイメージの店です。勿論、フードやドリンクも充実。是非お気軽にお立ち寄りください。日曜、祭日は休業。

吹田市千里山東1-11-16
TEL 06-6387-4690
MAIL gatemouth8@gmail.com

▼ 最新記事
▼ 最新コメント
▼ 最新トラックバック
▼ 月別アーカイブ
▼ カテゴリ
▼ FC2カウンター
▼ 検索フォーム
▼ RSSリンクの表示
▼ リンク
▼ ブロとも申請フォーム
▼ QRコード
QRコード

pagetop ↑

Copyright © 2017 gatemouth all rights reserved.
Powered By FC2 blog. Designed by yucaco.

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。