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「atプラス」09号「特集/震災・原発と新たな社会運動」

2011.09.18(Sun)

『政治・社会・経済』 Comment(1)Trackback(1)

atプラス 09atプラス 09
(2011/08/09)
いとう せいこう、丸川 哲史 他

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■雑誌「atプラス」09号(特集「震災・原発と新たな社会運動」)、震災・原発を「運動」という側面から切り込んだユニークな特集で、読み応えがあった。いとうせいこうが司会で、大澤真幸・山口二郎・柄谷行人・磯崎新らによるシンポジウムをメインに、柄谷行人「自然と人間」、小林敏明「脱原発ードイツ的決断の背景について」、高澤秀次「吉本隆明と「文学者の原発責任」」といった論文が掲載されている。
なかでも、大澤真幸による連載「可能なる革命 第三回 フライングを怖れる者たち」が面白い。twitter上でも、山口二郎が絶賛していたが、目から鱗の秀逸な分析。


■大澤論文は、この間、原発問題や政治について関心を持つものであれば、誰もが疑問を持つであろう、ひとつの「疑問」について、見事に分析して見せてくれている。その「疑問」とは、つい先日辞任した菅直人元首相を巡るものだ。何故、脱原発を目ざす首相が、同じく脱原発を志向する多くの国民の支持を得られなかったのか、という疑問である。「すぐキレる」とか、「部下を頭ごなしにどなりつける」とか、「思いつきで行動する」とか、大手メディアが伝える、まことしやかな人格ネタが理由になるとはとうてい思えない。
キレようが、怒鳴ろうが、知ったことではない。国民が納得でき、支持できる政策を提示し、実行してくれる政治家がいい政治家ではないか。その点で言うと、管首相は、いろいろまずい政策もあっただろうが、こと震災以降の最大の関心事である原発政策に関しては、完全に民意とフィットしていたではないか。つまり、現在、広義の脱原発を支持する世論は、完全に原発維持派を上回っており、その脱原発に最も熱心な政治家が管元首相だったのだから。


■さらに、不可解なこんな現象。事故直後(一ヶ月くらいまで)、原発を巡って世論は、維持と反対が拮抗していた。というより、むしろ、維持派のほうが多かった。当時は、福島原発も状況も危機的で、事故に対する不安と恐怖という点では、現在とは比ぶべくもないほど大きかった。原発事故に対する不安がピークにあった時点で、国民世論は、原発を維持することを望むものが多かったのである。大澤さんは、この奇妙な国民世論は、ある出来事を転機として、大きく旋回したという。


◎「脱原発派が増加へと向かう、明確な転機があった。事故からおよそ二ヶ月が経過した五月上旬に、菅直人首相が、地震による事故の可能性が最も高いとされていた原発、つまり浜岡原発の稼働停止を、中部電力に要請し、実際に浜岡原発が停止したという出来事、これが転機である。」


■実際、浜岡原発の停止要請のすぐ後の世論調査において、初めて、広義の脱原発派が過半数を占めるに至る。浜岡原発停止要請からおよそ一週間後、NHKが実施した世論調査では、約六割の人が、原発を「減らすべき」または「全廃」に賛成しているのである。つまり管元首相は、脱原発へと世論をリードした政治家ということになり、普通なら、これを機に人気はうなぎ登りとなってもおかしくなかった。ところが、実際には、脱原発の世論の高まりとともに、どんどん人気は下降していく。この不思議!
大澤さんは、二つの歴史的な事例を引いて、管元首相を巡る<不思議>な世論の動向を解き明かしていく。


■大澤さんが、比較対象として引いた事例のひとつは、2005年の小泉郵政選挙である。この選挙で小泉は、与党内にも反対の多かった「郵政民営化」をシングルイシューに、強引に解散総選挙に持ち込み、三分の二の議席を得て圧勝した。結果的に、「郵政民営化」は、国民の大多数に支持された、ということになり、選挙後、法案も通過した。しかし、客観的に見て、「郵政民営化」が、国民の切実な課題だったのかというと、決してそうではない。とすると、こんな疑問がわいてくる。


◎「国民にさしたる関心をもたれてはいなかった政策を謳った首相は、大衆的な人気者であり、逆に、過半数の国民に支持されている政策を積極的に唱えている首相は、まったく人気がない。これはどうしたことか?」


■もう一つ比較対象として引用するのは、なんと、一九一七年のロシア革命(十月革命)の一局面である。革命寸前にして、日和見を決め込むボリシェビキ中央委員会に宛てた手紙の中で、レーニンは、ボリシェビキ中央委員会のメンバーに対し、痛烈な批判と皮肉を浴びせている。断固として、決起し行動せよ、と。
なにが、中央委員会の行動をためらわせているのか?大澤さんは、こんなふうに分析する。

◎「断固とした行動に移ることができない者たちはいずれも、第三者の審級がその行動を許可するのか、第三者の審級によって承認されるのかについて確信を持てないのである。」

◎「そのような第三者の審級から見たとき、現在の蜂起は、「フライング」にあたらないだろうか。まだスタートしてはいけないときにスタートしてしまったことになってはいないだろうか。」

ぐずぐずと蜂起をためらうボリシェビキに対して、レーニンは、「第三者の審級の許可を待っていたら、永遠に革命を起こすことはできない」と考える。なぜなら革命とは、その第三者の審級そのものを書き換えることだからだ、と。


■脱原発を望んでいる現在の日本人は、革命を望んでいるものの、実力行使に踏み出せないでいるボリシェビキのメンバーとよく似ている、と大澤さんは述べる。脱原発というゴールを目指すことには合意する。しかし、いろいろなことが心配だ。メディアが耳元でささやく、脅しと恫喝。「電力は足りるのか。」「自然エネルギーは、原発の代替エネルギーになるのか。」「電気代が高すぎて、企業や工場が海外に流出するようなことはないのか。」等々。脱原発へと時期尚早のスタートを切ってしまうのが嫌なのである。そうなると、管首相への評価はこうなる。


◎「脱原発を謳う首相を支持しない理由は、ここから説明できる。こんなとき、国民が首相を支持したら、ほんとうに脱原発への本格的なスタートを切られてしまうのではないか。」


◎「首相が「脱・原発依存」を明言する会見をしたことに、多くの日本人が憤慨した理由も、同じことにある。「それはフライングだ!」と人びとは口々に叫んだのだ。」


■それなら、管首相は国民に決然と決起を促すレーニンたり得たのか?大澤さんによると、答えはノーである。管首相もまた、第三者の意向を探り、そこからの許可を求めていた。首相は、脱原発宣言を出したが、会見直後のマスコミの冷めた反応によって、慌てて釈明会見をした。第三者の不興をかったと感じたからである。
「ストレステスト」を持ち出したのもまた、第三者に対するご機嫌伺いだったという。原発を止めるべきと考えるなら、浜岡のように停止命令を出せばいいだけの話である。ただ浜岡原発停止命令を出したときだけは、第三者の意向を探ることなく、断固とした行動に打って出た。そして、そのような行動を取ったときだけ国民は首相を支持したのである。



■それでは、二〇〇五年の総選挙、あの時、国民は怯むことなく「郵政民営化」という道を選択した。脱原発への道は、恐る恐る進むのに、どうして、「郵政民営化」については、なんのためらいもなく選択できたのか。
これについての大澤さんの結論はこうだ。


◎「郵政民営化に関しては、第三者の審級の許可をあらためてもらう必要がなかったからである。郵政を民営化をする/しないという区別は、一部の直接の利害関係者を別にすると、どちらでもよいことであった。原発の廃棄/維持という選択と違って、郵政民営化は、、社会システムの根幹に変更を迫るものではない。」


◎「それが(郵政民営化)些細な選択であったために、あらためて第三者の審級の許可をもらう必要がなかったからーすでに許可を得られていると想定することができたからーである。脱原発は、これとはわけが違う。だから、脱原発については、人は、第三者の審級の許可を求めている。」


■そうなのだ、郵政民営化というのは、「どうでもよい」「些細な」選択であったがゆえに、国民はなんのためらいもなく支持へと動いた。話題の小泉劇場の入場チケットを、買い求めに殺到したわけだ。ところが、原発の問題は、切実であるがゆえに、周りをうかがい躊躇しているのである。メディアや推進派は、そこにつけ込み、ありとあらゆる情報を流し込む。「原発を辞めると経済が崩壊する。」、「代替エネルギーを提案しろ。」等々。そのようなキャンペーンに対し、この本のシンポジウムのなかで柄谷行人は、こう述べている。


◎「原発反対というと、何か積極的な代案を出せといわれます。自然エネルギーを実際にどうやるんだとか、そういう社会設計に関する「アーキテクト」としての役割を求められるわけです。しかし、私はそんなことをいう必要はないと思います。たんにやめればいい。やめることで、はじめて考えることがはじまるのであって、その逆ではない。代案を出すという思考が、既に原発と同じものなのだと思います。そんなことをやっていたら、絶対に原発をつくった資本=国家を脱構築することはできないのです。」



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『原発社会からの離脱』(宮台真司×飯田哲也 講談社新書)

2011.09.04(Sun)

『政治・社会・経済』 Comment(4)Trackback(2)
原発社会からの離脱――自然エネルギーと共同体自治に向けて (講談社現代新書)原発社会からの離脱――自然エネルギーと共同体自治に向けて (講談社現代新書)
(2011/06/17)
宮台 真司、飯田 哲也 他

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■脱原発の世論が次第に大きくなってきている。原発に代わって再生可能な自然エネルギーをというのが、私も含めて多くの人の願うところだろう。実際、世界は、自然エネルギーの拡大に向けダイナミックに動き出している。ところが、ここ日本では、地震が活動期に入り、フクシマの悲惨な事故があり、首相が自然エネルギーの導入に向け強い決意を語っているにもかかわらず、相も変わらぬ自然エネルギーに対するネガティブ・キャンペーンがまかり通っている。
太陽光は場所をとりコストが高い、風力は低周波による害が大きい、しかも天候などに左右され不安定である等々。とても原子力発電の代替にはならず、あくまでも、補助的なエネルギーでしかないという論である。例えば、最近ではテレビだけでなくネットメディアなどでも頻繁に見かける田原総一郎。最近の言い分はこうだ。「今の風潮では、原発推進なんて怖くて言えない。脱原発ファシズムがまかり通っている!」というのが、最近の定番のフレーズである。なら、過去数十年以上に渡って流布されてきた「原発安全神話」は、ファシズムではないのか?さらに「自然エネルギーなんて、原発に代わる代替エネルギーになるわけがない!」なんていうフレーズもある。このように、せっかく高まってきた脱原発の流れだが、怖いのは、田原のような著名キャスターが、誤った認識に基づいて、世論をミスリードすることである。テレビなどメジャーなメディアを視ていると自然エネルギー不信の論調が、ジワリジワリ、浸透してきているようにも思えるのだ。


■ところで、メディアがまき散らす、ネガティブキャンペーンをよそに、自然エネルギーを巡る世界の状況はどうか?ネット上で情報をピックアップすると、次のような状況が見えてくる。


◎世界では発電容量において風力・太陽光などの再生可能エネルギーが、去年(2010年度)、初めて原子力発電の容量を上回った。これは、推進派の論陣を張るサンケイの記事だ。<風力・太陽光エネが原発を逆転

◎原発推進派の大好きなアメリカでも、ついに自然エネルギーが原発の発電量を上回った。自然エネルギーの割合が11.7%になったらしい。日本の自然エネルギー、1%とは雲泥の差。自然エネルギーが原子力を追い抜く

◎再生可能エネルギーへの投資が32%増で過去最高、日本低迷。(国連環境計画発表)。<再生可能エネルギー投資32%増 過去最高、日本は低迷


◎さらにこんな記事も、アメリカでは、スリーマイル島の事故以降原発は一基も建てられていないということは、よく知られている。さらに、IAEAによると、1973年以降、発注された原発の三分の二がキャンセルされたという。安全性のハードルが高くなり、建設コストが膨大に膨れあがり、それがネックになっているためだ。さらに、注目すべきは、環境や安全に配慮した原発を建てるとなると、かえってエネルギー価格が高騰するのではないかという懸念もあるというのだ。<フクシマ後の世界の原子力産業


■これくらいの、状況認識を基に自然エネルギーに関する論議は進めてほしいものだ。多くの原発推進派が、今、しきりに垂れ流しているのが、自然エネルギーにシフトすると、電力価格が高騰し多くの企業が海外へ移転、産業の空洞化を招くというものだ。脱原発は、国を滅ぼすというのである。フクシマは現実に原発によって壊滅的な打撃を受けたにもかかわらず。この人たちは、何時大地震が起こってもおかしくない、地震活動期に入った日本列島で原発を維持し、しかも、最終処理の目処も立たない使用済み核燃料をこのまま未来永劫ため込んでいくという道を選択することが合理的だとでも言うのだろうか。したり顔で、自然エネルギーの導入が、日本経済を滅ぼすなどと、いっぱしの経済アナリストぶった物言いで、自然エネルギー推進派を罵倒する前に、もう少し、謙虚にかつ客観的に自らのおかれている立場を考えたらどうだろう。
資本主義という巨大な歯車は、一旦回りだすとひたすらカネを求めて終わりのない永久運動を続ける。安全や命より目の前の利潤こそが最優先されるという、恐るべきルール。さしずめ、経団連の米倉などは、この資本主義の<原理主義者=忠実な下僕>以外の何者でもない。
フクシマのような事故が、もう一カ所どこかで起きたら日本はもう終わりなのである。地震の活動期に入った日本で、その確率を無視できるとでもいうのだろうか?


■自然エネルギーの普及は、一挙に進むわけではない。電力の自由化や、固定価格全量買い取り制度、発送電の分離等、普及させるためにはそれを後押しするための法的整備や環境作りが不可欠である。
ヨーロッパは、それらの法案整備を既に90年代に行っている。日本では、ようやく今国会で、「再生エネルギー促進法」案が可決された。
この自然エネルギー拡大のキモとも言うべき「全量固定価格買い取り制度」は、既に世界60ヵ国以上で政策として採用されているのである。<自然エネルギー世界白書 2011 要旨

■世界は既に、政策目標として自然エネルギー導入の目標値を掲げ走り出しているのである。そのような流れにどうして日本は、乗り遅れたのか?そのことの分析が、この本の大きなテーマにもなっている。自然エネルギー先進国、とりわけドイツやスウェーデンなどヨーロッパの国々との社会比較がフューチャーされている。

ドイツで「固定価格買い取り制度」法制化されるのが1990年。これを推進したのは、右派のキリスト教民主党、わけても農民代表の議員が中心的なプレイヤーとなった。チェルノブイリ事故は、ウクライナの穀倉地帯をはじめ、ヨーロッパの農業に大打撃を与えた。農民層が脱原発を志向することはヨーロッパでは自然の流れだったのだ。
さらに、サッチャー革命による電力自由化。これは、瓢箪から駒みたいなもので、市場原理主義のサッチャーが、原子力の民営化にあたってその支援を狙った「非化石燃料義務づけ」だったのが、シティの反発によって原子力の民営化を引っ込めざるを得ず、自然エネルギーのほうに振り向けることになった。
このイギリスの非化石燃料義務づけとドイツの固定価格制度の二つが偶然にも、90年代のヨーロッパでの市場を活用した自然エネルギーの普及政策、つまり「需要プル」という新しいパラダイムの政策の源流となった。
さらに、90年前後に、フィンランド、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク、オーストリアといった国では、炭素税を制度として導入し、温暖化防止のキラーコンテンツとする政策も開始された。


■この本の対談者である飯田哲也さんは、92年に原子力ムラから身を引き、スウェーデンに留学する。そこで目の当たりにしたのが、上に挙げたヨーロッパにおける「環境エネルギー革命の10年」とも言うべき、歴史的な環境エネルギー政策の大転換だった。
先にも述べたように、自然エネルギー導入のための切り札となる、全量固定価格買い取り制は、世界60ヵ国で採用されている政策である。もちろん、アジアでもこの流れは加速していて、既に中国や韓国・台湾はもちろん、シンガポールやマレーシア・フィリピン・タイなどでも導入されている。自然エネルギーが是か非かなどという、悠長な論議の段階を世界はとっくに通過しており、地球環境を守るための必須のアジェンダとして取り組んでいるというのが実情なのである。


■この本では、日本が何故遅れているのか、日本社会は何故ダメなのかという点に、焦点を合わせた議論が行われている。しかし、今は、そんな原子力ムラに代表されるような、社会のダメさ加減の方こそ<自明>なのではないか。それより、脱原発派の主張する自然エネルギーで本当に電力はまかなえるのか、という点に議論は移っている。メディアを通じて垂れ流される、自然エネルギーに向けられた懐疑に対して、説得力のある反論を行うことこそが大事な時期ではないか。
このエントリーで、さかんにHPのリンクを引っ張ってきたのは、議論の前提となる自然エネルギーの世界的な状況を確認したかったからである。このあたりを自明のこととして、いきなり<悪い共同体>や<悪い心の習慣>と言われてもちょっと戸惑う。
自然エネルギーへのシフトという<第四の革命>への流れを途絶さず、大きな流れとして育てていくためにもきちんとした情報を把握したい。


□本のオフ会

◎8月26日(金) PM6:30~

◎『ラテンアメリカ五人集』(集英社文庫)


ラテンアメリカ五人集 (ラテンアメリカの文学) (集英社文庫)ラテンアメリカ五人集 (ラテンアメリカの文学) (集英社文庫)
(2011/07/20)
マリオ・バルガス=リョサ、ホセ・エミリオ・パチェーコ 他

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『ストリートの思想 転換期としての1990年代』(毛利嘉孝 NHKブックス)

2011.07.02(Sat)

『政治・社会・経済』 Comment(0)Trackback(0)

ストリートの思想―転換期としての1990年代 (NHKブックス)ストリートの思想―転換期としての1990年代 (NHKブックス)
(2009/07)
毛利 嘉孝

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■久しぶりにわくわくする本を読んだ。この本は、2009年に刊行されたものだが、最近、反原発デモで話題の「素人の乱」のことにかなり詳しく触れられている。今回の反原発運動の盛り上がりの中でも、彼らが仕掛けた「原発やめろデモ」は、その動員力において突出しており、反原発運動の台風の目のような存在になった。4月に高円寺(1万5千人)、5月に渋谷(2万人)、6月に新宿(2万5千人)と徐々に東京都心へと場所を移しながら、デモの参加者数も増やしていった。さらに注目を浴びたのは、そのユニークなデモのスタイルだ。サウンドカーや打楽器隊、チンドン・バンドが先導するデモは、ダンスや音楽をも取り込み、言葉によるメッセージだけではなく、人々の情動にも訴えかけようとしているかのようだ。この「素人の乱」に代表される「ストリートの思想」が、従来の対抗的社会運動と一線を画するのは、「楽しさ」や「快楽」を前面に押し出している点だ。80年代以降、イデオロギー批判が機能しなくなり、政治のスペクタクル化、ワイドショー化がすすむ中、醸成されていった新しい価値基準は、「おもしろいかどうか」であるという。つまり、運動はなにより「おもしろい」ものでなくてはならない。「素人の乱」のデモは、実にうまくこの時代の感覚と切り結んでいる。


■ところで、序章において、毛利さんは、こんな風に述べている。「素人の乱」に代表される「ストリートの思想」とは、「左翼を取り戻す試みなのだ」と。もちろん、「左翼」と言っても、古い「左翼」の焼き直しではない。なぜなら古い「左翼」の試みはことごとく敗北したからだ。ただしである、これは、「顕著に日本的な特徴」であるとも述べられている。つまり、日本のように、身も蓋もなく「左翼」が敗北し、かつ「ブサヨ」などという蔑称までが跋扈しているような国は、世界的に見ても極めて希な例であると。
日本のように極端な左翼の退潮は、世界的にあまり例がないのである。日本という国で暮らしていると、この国で起こっているような事態は、世界標準のような錯覚にとらわれがちであるが決してそうではない。
例えば、ヨーロッパにしても、ラテン・アメリカにしても、左派勢力はそれなりの影響力を持っている。デモやストライキも頻繁に起こっている。携帯電話の世界で、日本独自仕様の携帯のことをガラパゴスというが、ことは、携帯の世界に限った話ではない。とりわけ、政治状況こそがガラパゴスなのだ。


■ではなぜ、このようなガラパゴス的政治状況が起こったのか?60年代後半から70年代初頭にかけての学生運動の敗北、さらに最近では、あまり語られなくなったが、公務員にスト権を付与するかどうかをめぐって、労働組合と政府のガチンコ勝負となったスト権奪還闘争の敗北もあった。70年代における学生と労働者の敗北。その後の日本政治におけるガラパゴス化は、その時点で決定したと言っても過言ではないだろう。
従って、80年代を迎える頃には、古い左翼の政治闘争そのものが、もはやリアリティを失っていた。ソ連崩壊を待たずに、日本においては左翼の賞味期限切れを迎えていたのだと思う。
そんな中、フランスのポストモダン思想が浅田彰や中沢新一によって日本に紹介される。浅田や中沢のアイドル性や、その文体のファッション性によって、彼らの活動はニューアカデミズムと称され、時代のブームとなる。浅田彰の『構造と力』は、人文書では異例のベストセラーとなった。


■しかし、ニューアカデミズムによるフランス・ポストモダン思想の紹介にあたっては、日本的な味付けがなされる。というより、浅田彰流の味付けというべきか。つまり、フランスのポストモダン系の思想家たち(フーコー・デリダ・アルチュセール・ドゥルーズ)らが持っていた政治性がものの見事に脱色されていたのである。

◇「けれども、こうしたニューアカデミズム的なフランス・ポストモダンの受容は、日本固有の文脈でなされた。とりわけその理論的な源泉であるポストモダン理論やポスト構造主義と呼ばれている思想と比較すると、無残なまでに政治が脱色されていた。」

◇「それ(ポストモダン思想)は、六八年から七〇年に起こった出来事を転機として新しく登場した「力」と対峙するための、闘争の思想だったのだ。」

フランスのポストモダン思想系の思想家たちは、なによりも、68年の五月革命の衝撃から理論を組み立てた。つまり、革命の失敗の総括と次なる展望を切り開くための思想だった、と。それは、当然、それまでの伝統的なマルクス主義や批評理論の限界をも示すものだった。同時に、マルクスの彼方を見通すものであったはずだ。


■この本の中で、一九八五年のフェリックス・ガタリ来日時に、浅田彰や上野俊哉、そして平井玄らがガタリを案内して、山谷から下北沢まで東京を「横断」したときの記録である『東京劇場ーガタリ東京を行く』という本が紹介されている。
ここで、浅田彰は、自由ラジオのような実践や、山谷の支援を行う運動を「愚鈍な左翼」という言い方で批判している。旧来の左翼運動の限界性を批判するのは、ポストモダン思想の一つの柱だろう。しかし、同時にその限界を突破し、新たな展望を紡ぎ出すことは、ポストモダン思想のもう一つの柱であったはずだ。
浅田彰らは、旧来の左翼に対するキャッチーな批判は行ったが、それ以上の展望を示すことには無関心だった。
日本の80年代、浅田彰は、思想・文化の面から、いち早く左翼運動との決別宣言を下したようにも思える。それは、様々な領域における「脱政治化」の動きの先鞭をつけた格好となった。


■この本では、触れられていないが、80年代は、文学という分野において村上春樹が大きく台頭した時代でもあった。その村上春樹が、先日、カタルーニア国際賞のスピーチで、福島原発事故に触れ、日本のエネルギー政策を批判し、自然エネルギーにに舵を切るべきと語った。思想面における浅田彰同様、村上春樹も文学という領域で政治を排除して来た人だ。これに関し、先日行われた、「文学フリマ」というイヴェントで、大塚英志が面白い指摘を行っている。


◇「戦後の文学で、村上春樹の文学というのは、文学と政治を切断するということに徹底して加担してきた文学だよね。そういう人間がさあ、ああいうことを言うこと自体「なんだかなあ」と思う。大江健三郎が言うんなら分かりますよ。しかし、大江健三郎のことを良くも悪くも潰しにかかってきたのが、この20年くらいの文学だった。大江さんを全面的に支持するわけではないが、大江の戦後文学的振る舞いみたいなことに対してあれを笑っていく。だって、座談会が終わった後の雑談で、必ず大江さんの振る舞いをネタにして悪口を言う、それが一種の流儀のようなところがあった。名前出しても良いけど、加藤典洋っていう人がきらいになったのはそこでさあ。座談会が終わった後、大江健三郎の悪口を滔々としゃべり出して、それを見て、僕はこの人は信用できないなと思った。
大江の文学ってスキがあるし、議論も稚拙なところがあるけど、大江が核の問題やヒロシマの問題みたいなこととかを喋っていたことと、同じような稚拙さで喋っていることを気づくべきだよね。村上春樹がどの口で言っているか、という感じだよね。」


■私は、今回の村上春樹のスピーチを大塚ほどけなす気はさらさらない。また、大江勘三郎の議論が稚拙だとも思わない。それより、村上も大江もよくぞ言ってくれたと拍手を送りたいほどだ。一方、これまでの村上文学は、大塚が言うように、「文学と政治を切断するということに加担してきた」という面もあると思う。
日本の現代文学は、どうも社会や政治と一歩引いたところで、自閉した空間に籠もり、妄想的にストーリーを捏造することに血道を上げてきた、というように思えてならない。そして、その起源に村上春樹がいるようにも思える。
現実に起こっていることは、個人レベルの妄想など、軽く超えるほど凄まじいものだ。醜悪極まりない官僚・政治構造、原発という巨大リスクに対する、これ以上ないくらいお粗末なチェック体制。地震列島を原発列島に塗り替えるほどの、日本の権力者たちの原発に対する異常な愛。これら、現実に進行するこの国のおかしな権力構造は、個人の妄想レベルなど遥かに凌駕している。
しかし、どうやら、日本文学は今回の震災を通して、やっと社会や政治に対して目を見開いていくように思う。というのも、日本という国には、もはや個人が心地よく自閉する空間は、どこにも用意されていないだろうし、その基盤となる安定した豊かさは、ガタガタに崩れたかも知れないからだ。


■浅田彰や村上春樹によって先導された、脱政治化の動きは、古い左翼政治の限界性をいち早く暴いてみせた、という意味では、それなりの意義はあったと思う。しかし、その後の展開を見ると、左翼批判はひとり歩きし、陳腐なレッテル貼りとそれに伴う思考停止が拡がってきたように思う。例えば、今回の原発問題でも、当初、脱原発派に対し、<左翼>とか<アカ>とか<プロ市民>などという、時代錯誤なレッテル貼りが見られた。冷戦思考そのまま、というより、日本の場合、明らかに拡大再生産されているようにも思う。つまり、冷戦時でさえ、ここまであからさまなレッテル貼りはなかっただろう。80年代以降の脱政治化の流れが、行き着いた地点がそれであればブラックな悲喜劇としか言いようがない。
重要なことは、旧来の運動に変る新たなスタイルが、ストリートを舞台にずっと模索され続けてきたということだ。それらは、90年代以降の社会変動によって、かなりの程度可視化されてきていた。、そして、今回のフクシマ事故は、いよいよ決定的に大きな転換点を迎えたことを示しているように思う。
『ポストモダンの共産主義』で、ジジェクは、かって左翼だったおじさんたちにこう呼びかけた。


「恐れるな、さあ戻っておいで!反(アンチ)コミュニストごっこは、もうおしまいだ。そのことは不問に付そう。もう一度、本気でコミュニズムに取り組むべきときだ!」


「左翼を取り戻す試み」は、日本においてますますリアルなパワーを伴って、立ち上がってくるだろう。そんな意味で、これからの時代を読み・解く、オルタナティブな視点を提供してくれる本だ。



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『私たちはこうして「原発大国」を選んだ』(武田徹 中公新書ラクレ)

2011.06.11(Sat)

『政治・社会・経済』 Comment(6)Trackback(0)

私たちはこうして「原発大国」を選んだ - 増補版「核」論 (中公新書ラクレ)私たちはこうして「原発大国」を選んだ - 増補版「核」論 (中公新書ラクレ)
(2011/05/10)
武田 徹

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■ここのところ、ネットで「ビデオニュースドットコム」という社会学者の宮台真司さんとフリーのジャーナリスト神保哲夫さんがホストを務め、ゲストを招いてのトーク番組をよく視聴している。大手メディアがまともな情報発信をしないとなると、スケールは小さいが質の高い情報を提供してくれるネットメディアの存在は、ホント、ありがたい。そんな私の貴重な情報源の一つが「ビデオニュースドットコム」http://www.videonews.com/。この本は、その「ビデオニュースドットコム」で宮台真司さんが、大絶賛されていたので思わず手に取ったものだ。
しかし読んでみて、どうも「ナンダカナア?」という気分ばかりが残った。どうして宮台さんがこの本を「ここ数年で読んだ本の中では一押し」みたいな発言をするのか首をかしげてしまう。著者の武田徹さんは不定期ながら「ビデオニュースドットコム」の司会を務めている。そんなこともあって、「ひょっとして内輪ぼめなんじゃないの?」という勘ぐりも。


■内容はというと、こんな感じ。


◇「時系列に沿って戦後史を振り返った本書の「一九五四年論」から「二〇〇二年論」にいたる九つの議論には、ゴジラや鉄腕アトムの登場する「文化史」、初代の科学技術庁長官を務めた正力松太郎と首相に登りつめた田中角栄が関わった「政治史」、原子爆弾の開発者であるオッペンハイマーや卓越した数学的センスを武器に時代を駆け抜けたジョン・フォン・ノイマンに代表される「科学史」、輝く未来を提示した大阪万博やJCOの事故を扱った「社会史」、清水幾太郎や高木仁三郎に触れた「思想史」と分野を横断した議論を俎上にのせました」

■とまあ、原発をめぐる歴史を振り返っているわけだけど、そこに政治や思想や文化、科学など思いもよらぬ角度からの切り込みがあって、そこの部分は、なかなか新鮮で面白い。
なんだけれども同時に、「3.11」を通過してこのスタンスでいいの、という疑念も強く残った。(まえがきのところで、今回のフクシマ事故を受けて、著者の思いのようなものが綴られているのだが、著者のスタンスは、原著発行の時と全く同じ。)以下、その理由を述べてみたいと思う。ちなみにこの本は、もともと『「核」論』というタイトルで、2002年に 勁草書房から出版されたものである。今回の震災を受け、『私たちはこうして「原発大国」を選んだ』というタイトルで新書化された。

■で、そもそもの著者の執筆動機だが、こんな風に述べられている。

◇「こうして『「核」論』ではハンタイ、スイシンの違いを超えて核=原発論に入れる入口を多く用意し、原子力をめぐる膠着した状況を打開できないかと工夫しました。」

◇「私たちは「スイシン」「ハンタイ」のような二つの立場を超えて、両者を調停し、リスクを最小化し、利益を最大化する均衡点を見出してゆく理性と、他者に配慮する力を持っていると私は信じています。」

武田さんの思いのようなものは分かる。そのスタンスは、公平で良心的、かつ客観的な立場のようにも思える。
しかしである、そもそも「スイシン派」と「ハンタイ派」が、わざとらしくカタカナで、並列的に対等に置かれているのはどうもフェアではないような気がする。

■現実問題として、「スイシン派」の勢力や影響力に比べ、「ハンタイ派」がいかほどの力を持ち得たのだろう?それは、膠着とか拮抗というレベルではないだろう。「スイシン派」なるものの実態を考えてみれば、誰にでもわかることだ。「政府」・「政権与党」・「担当省庁」・「巨大電力会社」・「プラント会社」・「大学アカデミズムなどの研究機関」、「経団連」のような財界、「電機労連」といった労組、さらには原発が立地する「自治体」等々、次から次へと巨大権力が思い浮かぶ。さらに、この本でも触れられている、『「核」の平和利用』というキャンペーンを大々的に展開してきた「読売」などのメディア。これらは、ほぼ日本の中の、権力という権力をほぼ網羅しているかのようだ。
対する、「ハンタイ派」の内実とはいかなるものか、まず、地元住民のなかの反対派、「原子力資料情報室」などの市民団体、社民党や共産党など少数野党、アカデミズムの中のごく一部の研究者。明らかに、「スイシン派」とは違って、カネと権力とは無縁の、ほとんど日本社会においては、マイノリティと言ってもいい弱小集団である。カネも権力もある「スイシン派」とは比ぶべくもない。巨大戦艦と小さなボートが戦っているようなものだ。これのどこが「膠着」と言えるだろう。「スイシン派」「ハンタイ派」とわざわざカタカナで並列的に置くことによって、現実の圧倒的な力関係を見事に隠蔽してしまってはいないか。
しかも、メディア的にも90年代くらいまでは、「両論併記」という原則で、賛否両論を報ずる姿勢もあったが、ゼロ年代以降は、CO2削減の切り札として原発が脚光を浴び、「ハンタイ派」が陽の目を見ることなどほとんどなかったはずだ。つまり、ここ十年くらいの日本は、原発推進ほぼ一色といっていいような状態が続いていたのではないか。


■さらに、この本における「ハンタイ派」批判の柱になっている、こんな文章。


◇「核エネルギーをどう受け入れるか、あるいは拒否するかは、不確定な未来を選ぶという点において最終的に「賭け」にならざるをえない。そのときに大切なのは、できるだけ多くの情報をもとに、可能なところまでは科学的な確定性の領域に踏みとどまってから決断すること。野球のピッチャーになぞらえると、ボールを早々に放つのではなく、ギリギリのところまで我慢してボールを指に引っかけながら手放すことで、自分自身をより正確にコントロールする。なるべく多くの確実性をもとに「賭け」に臨む態度が必要です。」


◇「本文でも書いたが、科学的な思考を超える賭けをしなければならない地点があることは認めるものの、どこまで科学的な思考を延長できるかがよき賭け手になる必要条件だろう。フォームの崩れたピッチャーのようにリリースポイントの早すぎるハンタイ派は悪しき賭け手であり、彼らの思考パターンにも、その意味で批判的にならざるをえない。」


■原子力を受け入れるかどうかは、ある種の「賭け」であるという。そもそも、原子力のような巨大なリスクを伴う技術を最終的に「賭け」で決めるしかない、と告白している時点で「スイシン」すべきではないだろう。「フクシマ」はその見事な証明になってしまったわけだ。そして、「ハンタイ派」を「リリースポイントの」早すぎる「フォームの崩れたピッチャー」であるという。結果として「悪しき賭け手」になっているというわけだ。果たしてそうだろうか?
今回の原発事故で、メディアはいわゆる「御用学者」と呼ばれる「スイシン派」の研究者を動員し、多くの国民に安全キャンペーンを展開してきた。フクシマで一体なにが起こっているのか、政府や大手メディアの垂れ流す情報だけだではなにも分からなかった。にも関わらず、世論調査などを見ると、時が経つにつれ、「脱原発」を志向する人の数の方が大きくなっていった。それは、TVや新聞というメジャーなメディアを離れ、週刊誌やラジオ、さらにはネット・メディアといった小さなメディアで報じられる、「ハンタイ派」の研究者や技術者のほうに説得力があったからではないか。
京大の小出裕章氏や原発プラントの技術者・後藤政志氏、地震学者の石橋克彦氏など、「ハンタイ」の立場の研究者の発言は、少なくとも「フォームの崩れたピッチャー」にも「悪しき賭け手」のようにも思えなかった。


■そして、極めつきのトンデモ「ハンタイ派」批判がこれ。思わずのけぞってしまうような、こんな一節。


◇「そして反原発運動の高まりが、かえって事故を招くこともある。たとえば原発の運転員の志気を落とすのは、慣れだけではない。周囲からその仕事の重要性が認められなくなること、更には「汚れた仕事」だと蔑視されるようになれば、彼らは間違いなく落胆する。就職希望者も減り、優秀な人材を採用できなくなる。そうなった時、むしろ反原発運動の高まりが原発事故を導く要因になるという皮肉な結果になる。」


◇「ハンタイ派の啓蒙活動の結果、原子力に恐怖を感じる人が増えれば、雇用者は雇用に苦労するようになり、賃金面での配慮を行う。無知な人だけが誘蛾灯に誘われるようにそこに入って行く。そうした構造が事故を起こさせ、二人の犠牲者を出した(JCOの臨界事故のこと)。その意味で、この事故に対しては、ハンタイ派も決して無罪ではない。」


■これはちょっともう、開いた口がふさがらない。「反原発運動の高まりが、かえって事故を招くことがある」と、是非その実例を挙げてもらいたいものです。さしずめ、今回のフクシマの事故があって、いち早く「脱原発」路線を打ち出したドイツなどは、日本とは比べものにならないくらい、反原発運動の強い国、武田理論でいくと、事故だらけの国になりはしないか。ここで武田さんが言っているのは、「ハンタイ派はとっとと武装解除しろ」と、そんな風に言っているとしか思えない。「リリースポイントの早い」「フォームの崩れたピッチャー」は、一体どっちなのかと言いたい。


■ありもしない、幻想の中道を行く武田さんは、もちろん、「スイシン派」に対しても、批判の矛先を向けてはいる。それらは、全て正鵠を射たものだ。しかし、「ハンタイ派」に対するものは、どうも「イチャモン」をつけているとしか思えないレベルのものだ。それは、はからずも「ハンタイ派」とか「運動」というものに対する、自らの予断と偏見を自己暴露したかのようだ。
「ハンタイ」「スイシン」という立場を超えて、というと聞こえはいいが、残念ながら、ここにあるのは、時に「ハンタイ」、時に「スイシン」と状況に応じて、カメレオンのように都合良くその姿態を変える、まるで風見鶏のように不安定な視点だ。



ストリートの思想―転換期としての1990年代 (NHKブックス)ストリートの思想―転換期としての1990年代 (NHKブックス)
(2009/07)
毛利 嘉孝

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◎本のオフ会

日時 6月18日 PM6:30~

テクスト 『ストリートの思想』(毛利嘉孝 NHKブックス)

(ゆる~い読書会、是非、お気軽にご参加を。)








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『市民科学者として生きる』 (高木仁三郎・岩波新書)

2011.05.23(Mon)

『政治・社会・経済』 Comment(0)Trackback(0)

市民科学者として生きる (岩波新書)市民科学者として生きる (岩波新書)
(1999/09/20)
高木 仁三郎

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■久しぶりの更新になってしまった。原発のことが気になって、twitterの方にはまり込んでいた。原発が危ないという意識は、ずっと持っていたものの、今回の事故が起こるまで意識の隅っこの方に追いやられていた、というのが正直なところ。ところが、チェルノブイリ級の事故が、現実に起こってしまって、すっかり危機意識に目覚めてしまった。
そんなこんなで、原発の問題もじっくり勉強したいと思うようになって、手に取ったのがこの本。反原発系の研究者・市民運動家として、日本の反原発運動に大きな足跡を残された、高木仁三郎さんの自伝。


■高木さんは、1938年生まれ、残念ながら2000年に亡くなられた。1997年、環境・平和・人権の分野でもう一つのノーベル賞といわれる、ライト・ライブリフッド賞を受賞。この本は、死の前年1999年、病床で綴られた遺作でもある。高木さんは、日本の原子力産業の立ち上がりから、モンスターのような巨大産業に成長する推移を、研究者として、そして市民活動家として見つめてきた人だ。従って、彼の自伝は、日本の原子力産業とその合わせ鏡ともいえる反対運動の歴史をそのまま体現したものになっている。


■読んで気づいたのだが、日本の反原発運動というのは、全国的に見ると現在までのところ大きく三つの波があったのではないか、ということ。つまり、三回の大きな盛り上がりがあったと。もちろん、地域における地道な活動や、原発事故を巡っての抗議や批判など、時として話題になることはあったにしても、メディアが大きく取り上げ、国民的な関心事になったということになると、その数はぐっと減って三回くらいではなかろうか、と。


■その第一波が、1970年以降、大阪万博や石油パニックを経て、ブームとも言えるような建設ラッシュに対する、住民の反対運動の盛り上がりである。既に、敦賀や福島の原発は稼働し始め、それに続く女川(宮城)、柏崎(新潟)、熊野(三重)、浜坂(兵庫)、伊方(愛媛)、川内(鹿児島)などの住民たちが活発に活動を開始した頃だ。
それに呼応する形で、反対派の研究者たちも動き始め、横の連携を模索し始めていた。「原子力資料情報室」は、そのような背景の中で、研究者たちの資料室として、また、議論や交流の場として1975年に生まれた。
高木さんは、「原子力資料情報室」の立ち上がりから、専従として(当初は無給として)働き始めることになる。つまり、「原子力資料情報室」は、最初の反原発運動の高揚のなかから生まれたといっても過言ではないだろう。


■日本の反原発運動にとって、二度目の大波は、一九八六年のチェルノブイリ原発の事故後にやってくる。
チェルノブイリ事故の後、世界各国で反原発運動が盛り上がる。イタリアなどでは、国民投票で原発が全廃になるまでに至った。日本では、その波は遅れてやってきて、一九八八年二月の伊方原発の出力調整反対運動がそのきっかけとなった。これは、全国的に大きな運動のうねりとなり、「原発とめよう一万人行動」と称して、東京日比谷で行われることになった。実際には、二万人以上の人が集まり日比谷公園を埋め尽くした。
このときのことを高木さんはこう述べている。


◇「組織動員などまったくない自主参加の市民の集まりとしては、数の上でも画期的なものだったが、数よりも、音楽や踊り、さまざまな衣装や創意などもちよって集まった人々の多様性と華やいだ雰囲気において、従来の集会のイメージを塗りかえるものとなった。集会後に行われた呉服橋までのデモの列も、いつ果てるともない感じで、正直なところ私自身もある種の夢をみているような陶酔を感じた」


この集会の様子は、youtube(http://www.youtube.com/watch?v=jVWOC0GMDyg)で見ることができる。確かに、それまでのデモにはない多様性と祝祭性は、今回、話題を集めた高円寺や渋谷のサウンド・デモの源流ともいえそうだ。


■もう一つ、三度目が、私のように余り積極的に運動に関わってこなかったものにも忘れられない光景。1992年の「あかつき丸」による、フランスから日本へのプルトニウム輸送である。これは、日本から送られた使用済み核燃料をフランスのラアーグ再処理工場で、MOX燃料の形に再処理されたものを専用船「あかつき丸」を仕立てて、東海村まで運ぶという前代未聞の危険な大航海だった。いつ、どういう航路で、どんな船で、どんな警護をつけて、どんな防災態勢をとって等、いっさいが霧の中であった。その官僚的秘密主義の壁を反対派の国際連携によって、白日のもとに曝したのであった。その中心となって各国の反核環境団体間のコーディネーター役を果たしたのが高木さんだった。結果として、環境保護団体・グリーンピースの追跡によって、「あかつき丸」のルートは、次々と明るみに出され、領海立ち入りの拒否を表明する国が次々と出てきて、予定の日程から大幅に遅れて東海村へと運ばれることになる。この間、メディアなどでも大きく取り上げられ、あかつき丸の航海中のルート・現在位置が逐一報道された。しかも、これにはおまけがついていて、運ばれるプルトニウムの組成が、日本の使用済み核燃料の組成とは違うということがわかったのである。これは、フランスの軍用プルトニウムが混在しているのではないかという疑惑にまで発展した。


■そのような大きな運動の他に、面白いエピソードも紹介されていて興味をそそられた。「朝生」などのテレビ番組で知られる田原総一郎を巡るものだ。
原子力資料情報室をはじめて間もなく、田原総一郎(当時・東京12チャンネル・ディレクター)が、内部告発の手紙を携え、高木さんの元を訪れた。その手紙には、一九七三年初めに、関西電力美浜一号炉で大規模な燃料棒折損事故があった。それを関西電力と三菱重工は、まったく秘密裏に処理していた、というのである。田原はこの問題を、出版予定であった『原子力戦争』という単行本に特別報告の形で取り上げようとしていた。そして、その告発の信憑性について、高木さんの意見を聞きに来たのであった。
高木さんは、事故当時の不自然な燃料交換のパターンや、一号炉の排水による海草の汚染状況などから、事故の隠蔽を確信し田原に伝える。田原は、同年七月に出版された『原子力戦争』(筑摩書房)の末尾に、この告発に基づいた推理のレポートを書いた。
今、田原総一郎は、かってのような反体制ジャーナリストの面影はすっかり影を潜め、むしろ立場としては、原発推進に近いスタンスに立っているように思われる。その田原のかっての勇姿を彷彿とされるエピソードだ。そういえば、高木さんは、田原の「朝まで生テレビ」の原発特集にも何度か出ていて、生前の映像を観ることができる。(1988年10月の「朝生・原発特集」、http://www.youtube.com/watch?v=yEwmEFmSi9I)


■高木さんは、このように日本の反原発の運動史の中でも、エポックメーキングな三つの大イヴェントにおいて、中心的な役割を果たしてこられた。これ以外にも、住民運動の相談役として、市民の科学者を育てるための「高木学校」の創設、メディアにおける批判派の論客としての役割なども果たしてこられた。
最後の著作となったこの本では、原子力発電とそれを産んだ社会についてこんな風に語っている。


◇「原発は、言うまでもなく技術的には核兵器と切っても切れない関係にある。核兵器保有をめざす大国が、経済的にはまったく見通しのない状況で、潜在的な危険性も大きいこの産業へと国家主義的に大量投資をして取り組んだのは、もちろん、核兵器開発に乗り遅れたくないという思惑があったからである。原子力問題には、常にそういう国際政治的力学が背景にあり、国家機密の技術である故の機密性、閉鎖性もつきまとった。」


◇「風力とかバイオマスとか太陽電池などの地域分散型のテクノロジーを軽視し、ほとんどの政府がまず原子力にとびついた(その段階での商業化の可能性の不確かさは、前述の分散型ないし再生型のエネルギーが現在もつ不確かさより、はるかに大きかった)のは、この中央集権性ないし支配力にあったと思う。その底流には、巨大テクノロジーと民主主義はどこまで相容れるかという、現代の普遍的な問題が関係している。」


■福島の事故を受けて、自民党の安全保障の論客・石破茂や、右寄りの評論家と思われる青山繁治のような人まで、原発政策の見直しを語るようになってきている。福島原発事故という巨大な原発震災を受け、やっと、この国の原発と核兵器を巡る闇が消えていくような予感を覚える。大きな代償を払っての小さな一歩という感じがしないでもない。しかし、この歩みを停めてはならないのはもちろん、この国が、原発依存から地域分散型の自然エネルギーへという歴史的な転換点にあるように思う。そのことは、エネルギーの転換を意味するだけではなく、巨大テクノロジーが持つ中央集権的官僚主義を打破し、地域を主体とした新たな民主主義への移行を促という、社会システムや政治体制の大きな変更をも生み出すということに他ならない。




○「本のオフ会」お知らせ○

すみません、ブログが途切れていて、次回「本のオフ会」は、以下の日程で。

・日時 5月21日(土) PM6:30~ gatemouth cafeにて

・テクスト 『蔭の棲みか』(玄月・文春文庫)

◇堅苦しい会ではありません、テクストを話題に、一杯飲みながらゆるく語る会です。お気軽にご参加を。




蔭の棲みか (文春文庫)蔭の棲みか (文春文庫)
(2003/01)
玄月

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吹田の関大前で、「ゲートマウス」という小さなカフェを営業しています。
「ゲートマウス」は、「本が楽しめる、ミュージック・カフェ」、もしくは「音楽が楽しめる、ブックカフェ」といったイメージの店です。勿論、フードやドリンクも充実。是非お気軽にお立ち寄りください。日曜、祭日は休業。

吹田市千里山東1-11-16
TEL 06-6387-4690
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